ソボールノスチを学ぶ 第二部
1章 / 全4

一つになると、違いは消えるのか:ソロヴィヨフの全一性

ソロヴィヨフの全一性をキリスト教・ソフィア・普遍教会の文脈から読み、差異を消す統一と差異を含む統一を分けて考えます。

nakano
6分で読了
Blog

全員が賛成した会議は、よい会議なのか

会議の最後に、全員が同じ方針へ賛成したとします。議論は早く終わり、議事録もきれいにまとまりました。

ところが、一人は反論すると評価が下がると思って黙っていました。別の一人は、専門外の言葉ばかりで議論に入れませんでした。この場には「一つの結論」があります。それでも、そこに共同性があるとは限りません。

第一部で見たソボールノスチは、自由な人格が共にあることを問う概念でした。第二部では、問いの範囲を広げます。世界そのものを、違いを保ったまま一つであるものとして考えられるでしょうか。

19世紀ロシアの哲学者ウラジーミル・ソロヴィヨフ(1853–1900)が構想した全一性(vseedinstvo)は、この難題に向き合う思想です。

統一には、二つの形がある

ソロヴィヨフは『ロシアと普遍教会』で、複数性を退けるだけの「否定的で不毛な統一」と、複数性に対立せず、それを内に含む「積極的な統一」を区別します。

前者では、一つになるために違いを削ります。後者では、違いが残るからこそ、何が結ばれているのかが分かります。

ここで大切なのは、全一性を「仲よくまとまること」へ縮めないことです。ソロヴィヨフは、神と被造世界、精神と物質、個人と人類がどう結びつくかを、キリスト教の神人論、ソフィア論、普遍教会の構想の中で考えました。全一性は、宗教から切り離された組織論ではありません。

一方で、その区別は現代の共同性を考える補助線になります。意見の一致だけを見ると、沈黙させられた違いを見落とします。統一の質は、賛成者の数より、異論が消されずに関係へ残っているかどうかに表れます。

差異を消す統一と差異を含む統一の比較

ソフィアと神人性が、全一性を支える

『神人性についての講義』では、ソロヴィヨフはソフィアや世界霊を、神的なものと被造世界を媒介する全一的人類の姿として論じます。個々の存在は、最初から意味のない破片なのではなく、より大きな全体との関係を持つものとして捉えられます。

ただし、ここから「物理学も仏教も同じ真理を証明している」と進むことはできません。デヴィッド・ボームの内蔵秩序、華厳思想の縁起、西田幾多郎の哲学には、それぞれ別の問い、語彙、歴史があります。似た図を描けることと、同じ理論であることは別です。

比較を急がずソロヴィヨフ自身の文脈へ戻ると、全一性の面白さが見えます。それは、すでに完成した宇宙の静止画ではありません。分裂した歴史の中で、自由な結合をどう実現するかという課題です。

「全体主義の反対」と言い切る前に

全一性は複数性を含むため、差異を消す全体主義とは区別できます。しかし、「全一性は全体主義と正反対だ」と言い切るだけでは足りません。

どれほど美しい統一の理念でも、誰が全体の目的を決めるのか、異議を言う人が残れるのか、離れる自由があるのかを確かめる必要があります。理念が差異を尊重していても、運用が人を従わせることはあるからです。

現代への応用(本記事での解釈)

共同体が「一つになろう」と呼びかけたとき、賛否の数より先に三つを見ます。

  • 誰の言葉が、共通の言葉として採用されていますか。
  • 反対意見は、関係を壊す行為として罰せられていませんか。
  • 少数者の違いは、全体へ役立つ範囲でだけ認められていませんか。

全一性を現代へ生かすなら、統一の大きさより、違いが消されずに結ばれているかを問うところから始まります。