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知識を深める連載記事

バガヴァッド・ギーターを学ぶ 第一部

2026年6月6日·4

バガヴァッド・ギーターを学ぶ 第二部

2026年6月13日·4

道教を学ぶ 第一部

2026年5月16日·5

道教を学ぶ 第二部

2026年5月16日·4

初期仏教を学ぶ 第一部

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苦は、痛みと同じものなのか

初期仏教を、心を落ち着かせる技法ではなく、苦がどこで生まれ、どこで増えるかを精密に見分ける思想として読み始める。

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ブッダの診断は、なぜ四つに分かれるのか

四聖諦を四つの標語ではなく、苦を理解し、原因を捨て、止滅を実現し、道を育てるための精密な診断法として読む。

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苦は、どこで増幅されるのか

縁起を単純な悪循環ではなく、接触・感受・渇愛・執着を含む条件の分析として読み、反応が固定される局面を探る。

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「私」は、なぜ思いどおりにならないのか

無我を自己否定や大きな自己への合一ではなく、五蘊を私・私のものとして保持できるかを問い直す実践的な論証として読む。

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気づくだけで、道を歩んだことになるのか

サティを一時停止の技法へ縮めず、正見・倫理・努力・集中と結び付いた八正道全体の中で読み直す。

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涅槃は、何が消えた状態なのか

涅槃を虚無や心の性能向上としてではなく、渇愛と貪・瞋・痴に支配される条件系列の終息として、初期経典の比喩から考える。

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古い教えを、現在へどう運ぶのか

初期経典、後代の仏教伝統、現代への応用を区別しながら、四諦・縁起・無我・八正道を生活へ翻訳する。

2026年7月19日·7

初期仏教を学ぶ 第二部

2026年5月16日·5

啓蒙思想を学ぶ 第一部

2026年7月12日·6

ジャイナ教を学ぶ 第一部

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正しい見方だけでは、なぜ自由になれないのか

正しい見方・知識・行為という三宝から、ジャイナ教が認識の慎重さを解脱の道へどう位置づけたかを読み解きます。

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同じものを見ているのに、なぜ話がずれるのか

プラマーナとナヤの区別から、部分的な観点が単なる個人の意見ではない理由を考えます。

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変わり続けるものを、同じものと呼べるのか

生起・消滅・持続を同時に考えるジャイナ教の存在論から、アネーカーンタヴァーダの深さを読みます。

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「ある観点から」は、逃げ道なのか

サッドヴァーダと七重判断から、断言を弱めるのではなく条件を精密にするジャイナ教の論理を読みます。

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すぐに断定しない人は、いつも正しいのか

カーネマンの二重過程論とジャイナ教の認識論を比べ、慎重に考えることの力と限界を見ます。

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相手を言い負かすことは、暴力なのか

ジャイナ教のアヒンサーを生命・情念・不注意から読み、言葉の加害へ応用できる範囲を考えます。

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多面性は、何でも正しいことにするのか

アネーカーンタヴァーダへの相対主義批判を通して、観点の多さと判断の基準が両立する理由を考えます。

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真理を諦めず、独占を手放せるか

三宝、ナヤ、アネーカーンタヴァーダ、サッドヴァーダ、アヒンサーを一つの道として振り返ります。

2026年5月16日·8

ジャイナ教を学ぶ 第二部

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知っただけでは、なぜ自由になれないのか

正しい信仰・知識・行為という三つの道から、ジャイナ教が知ることと生きることを切り離さない理由を読み解きます。

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怒りが消えたあと、何が魂に残るのか

ジャイナ教のカルマを、流入・束縛・遮断・脱落という過程から読み、ドーキンスの遺伝子論との違いを考えます。

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世界には、動くための場所と止まるための場所がある

魂、物質、運動と静止の媒体、空間、時間という六つの実体から、ジャイナ教独自の宇宙像を読み解きます。

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空腹に耐えれば、自由になれるのか

外的・内的な十二のタパスを読み、ジャイナ教の修行をフーコーの規律と自己形成の議論から考えます。

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見えない命を、どうすれば傷つけずに歩けるのか

ジャイナ教のアヒンサーを、不注意・情念・誓戒の関係から読み、レヴィナスの顔の倫理との違いを考えます。

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8

生命の境界を、目に見える大きさで決めてよいのか

一感覚の生命とニゴーダを手がかりに、ジャイナ教の生命観と現代の環境倫理が重なる問い、異なる目的を読み解きます。

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8

流れを止めることと、積もったものを落とすこと

サンヴァラ、ニルジャラー、モークシャの違いをたどり、ジャイナ教の解放とスピノザの自由を比較します。

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自由になるとは、関係を断つことなのか

ジャイナ教第二部のカルマ、六実体、タパス、アヒンサー、解脱を一つの行程として振り返ります。

2026年5月16日·8

中論を学ぶ 第一部

2026年5月16日·4

中論を学ぶ 第二部

2026年5月16日·4

墨子を学ぶ 第一部

2026年5月16日·4

墨子を学ぶ 第二部

2026年5月16日·3

朱子学を学ぶ 第一部

2026年6月20日·5

朱子学を学ぶ 第二部

2026年6月28日·6

クルアーンを学ぶ 第一部

2026年5月16日·5

クルアーンを学ぶ 第二部

2026年5月16日·6

セリティを学ぶ 第一部

2026年5月16日·4

セリティを学ぶ 第二部

2026年5月16日·5

ソボールノスチを学ぶ 第一部

2026年5月16日·4

ソボールノスチを学ぶ 第二部

2026年5月16日·4

ウブントゥを学ぶ 第一部

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「人は他者を通じて人となる」——ウブントゥを一つの標語にしない

ウブントゥという語の歴史と格言をたどり、関係の中で人間になるとは何を意味するのかを考えます。

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8

「あなたを見る」とは何をすることか——サウボナと承認の倫理

isiZuluの挨拶サウボナを、日常の用法と哲学的解釈に分け、人を役割へ縮めない承認について考えます。

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牛を貸すことは、贈与なのか——ウクシサが残す関係と争い

南アフリカの牛の貸借ウクシサを、支え合いの美談だけでなく、土地・相続・植民地支配の歴史から読み直します。

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「会社の方針です」で責任は消えるのか——役割の外に人を見る

アーレントの思考と判断を手がかりに、組織の役割が具体的な被害を隠すときの責任をウブントゥと考えます。

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死刑をめぐる法廷で、ウブントゥは何を語ったのか

マクワニャネ判決と真実和解委員会をたどり、生命・尊厳・責任・賠償が交差する正義を考えます。

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共同体は、いつ人を傷つけるのか——ウブントゥの影を読む

連帯と共同体が同調圧力へ変わる条件を、個人の権利、ジェンダー、異論の保護から検討します。

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全員一致は、本当に全員の声なのか——インダバと対話の条件

インダバを理想化された全会一致の制度から解放し、参加・権力・異論・決定を支える対話の条件を考えます。

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受け継ぐのは、答えではなく問いである——ウブントゥと教育

南アフリカの教育政策と第一部の議論を結び、尊厳、差異、責任を次の世代へ渡す条件を考えます。

2026年8月10日·8

ウブントゥを学ぶ 第二部

2026年5月16日·6

ウパニシャッドを学ぶ 第一部

2026年7月25日·6

ウパニシャッドを学ぶ 第二部

2026年5月16日·7

成唯識論を学ぶ 第一部

2026年5月16日·4

成唯識論を学ぶ 第二部

2026年8月13日·4

陽明学を学ぶ 第一部

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陽明学は「直感を信じろ」という思想ではない

王陽明の実践哲学を、心即理・良知・致良知・知行合一から読み解く。自分の確信を正義にするのではなく、知ることと行うことの分裂を問い直す思想への入口。

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朱子学からの分岐:なぜ「心即理」が必要だったのか

朱熹と王陽明を、知識と行動の単純な対立にせず、格物・心即理・知行をめぐる共通の問いと異なる答えとして読み直す。

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良知:すでに働いている道徳知

王陽明のいう良知を、静かな直感や万能の答えではなく、具体的な関係の中で働き、私意に遮られうる道徳的な知として読む。

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致良知:良知を現実に届かせる

致良知を、心の中の納得を行動へ押し出す標語ではなく、具体的な事の中で私意を省察し、良知を尽くす修養として読み直す。

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知行合一:知と行はどこで一つなのか

知行合一を行動礼賛から切り離し、知は行の始、行は知の成という王陽明の言葉から、道徳的な知と実践の相互性を読む。

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陽明学の危うさ:良知は独善にもなる

良知を自分の確信と取り違える危険を、私意の障りと一念の発動という原典の問題から捉え、現代で必要な点検条件を考える。

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現代の陽明学:情報ではなく、行為へ

陽明学を現代へ応用するとき、情報不足と責任回避をどう見分けるか。原典・記事の読解・現代の実践を分けながら、知と行の距離を問い直す。

2026年7月5日·7

陽明学を学ぶ 第二部

2026年7月11日·6