ジャイナ教を学ぶ 第一部
5章 / 全8

すぐに断定しない人は、いつも正しいのか

カーネマンの二重過程論とジャイナ教の認識論を比べ、慎重に考えることの力と限界を見ます。

nakano
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ジャイナ教
カーネマン
認知バイアス

短い投稿を読んだだけで、「この人は信用できない」と感じることがあります。あとから事情を知り、判断が早すぎたと気づいても、最初の印象はなかなか消えません。

では、時間をかけて考えれば正しくなれるのでしょうか。

前章までのジャイナ教の議論は、断言の条件と観点を増やしました。ここで現代の認知心理学を重ねると、私たちがなぜ一つの説明へ急ぎやすいかが見えます。ただし、二つの理論は同じものではありません。

速い思考と、注意を使う思考

ダニエル・カーネマンは『ファスト&スロー』で、人間の判断を二つの働きから説明しました。

システム1は、素早く自動的に働きます。顔の表情を読む、簡単な計算に答える、物音へ振り向くといった処理を担います。システム2は、注意と努力を必要とします。複雑な計算、証拠の比較、自分の直観の点検などに使われます。

システム1は怠惰な敵ではありません。日常を動かすために欠かせない働きです。問題は、限られた手がかりから作った説明を、十分に確かめた結論だと思いやすいことです。システム2も万能ではなく、疲れ、知識不足、動機づけによって誤ります。

速い断定から観点と根拠を点検するまでの流れ

ナヤは、システム1の古い名前ではない

ナヤとシステム1は、どちらも「部分だけを見てしまう人間」を説明するように見えます。しかし、扱っているものが違います。

カーネマンは、実験や観察を通して判断の心理的な過程を説明します。ジャイナ教のナヤは、対象をどの観点から叙述するかという知識論上の区別です。さらに、その知識は魂の束縛と解脱を見分ける道の一部に置かれます。

したがって、ジャイナ教の修行を「システム2を起動する訓練」と言い換えることはできません。注意深く考える点では接点がありますが、修行の目的、世界像、倫理が異なります。

この違いを残すと、比較が役立ちます。心理学は、正しいと感じる速さが証拠の強さを保証しないと教えます。ジャイナ教は、時間をかけた後でも、一つの観点を対象の全体へ広げていないかと問い返します。

「論破が気持ちよい」を、脳だけで説明しない

相手の矛盾を見つけ、言い返せなくしたときに快感を覚えることはあります。しかし、その感覚を一つの脳内報酬で説明し切ることはできません。

議論には、所属集団での評価、負けたくない恐れ、正義感、過去の関係、公開の場での観客などが重なります。自分の主張が正しいかだけでなく、誰として見られたいかが行為を動かします。

カーネマンの枠組みは、速い断定と確認不足を点検する助けになります。そこから、論争のすべてを「省エネする脳」のせいにすると、社会的な関係や倫理的な責任が見えなくなります。

現代への応用(本記事での解釈)

判断を止めるのではなく、断定の前に一回だけ分解します。

  1. 最初に見えた事実は何か。
  2. その事実から私が補った物語は何か。
  3. 別の観点なら、何を確かめる必要があるか。

三つ目まで進んでも、最初の判断が正しいことはあります。目的は、必ず反対意見を採用することではありません。直観と根拠を同じものにしないことです。

次章では、認識の慎重さが行為へ移るとき、アヒンサーという誓戒とどう関わるかを考えます。

参考文献

  • ウマースヴァーティ『タットヴァールタ・スートラ』第1章6節・33節
  • Daniel Kahneman, Thinking, Fast and Slow, Part I
  • Paul Dundas, The Jains