ジャイナ教を学ぶ 第一部
3章 / 全8

変わり続けるものを、同じものと呼べるのか

生起・消滅・持続を同時に考えるジャイナ教の存在論から、アネーカーンタヴァーダの深さを読みます。

nakano
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ジャイナ教
アネーカーンタヴァーダ
存在論

十年前の自分と、いまの自分は同じ人でしょうか。

身体も考え方も変わっています。それでも、履歴書にも家族の記憶にも、一人の人としてつながっています。変わったと言えば正しく、同じだと言っても間違いではありません。

ジャイナ教の多面性は、意見の違いだけを扱う思想ではありません。変化するものが、なぜ同じものとして続くのかという古い難問へ向き合います。

存在には、生起・消滅・持続がある

『タットヴァールタ・スートラ』第5章30節は、存在するものを、生起・消滅・持続を備えるものとして表します。

湯のみを例に考えてみます。窯から出たとき、湯のみという新しい状態が生じます。使えば表面に傷が増え、やがて割れることもあります。状態は変化しますが、変化のたびに何のつながりもない別物が現れるわけではありません。

ジャイナ哲学では、実体(ドラヴィヤ)は性質(グナ)と様態(パリヤーヤ)を持つと考えます。様態は変化し、実体には持続する側面があります。変化だけを見れば同じものは残らず、持続だけを見れば変化が説明できません。両方を一つの存在について考える必要があります。

生起・消滅・持続が一つの存在に成り立つ構造

アネーカーンタヴァーダは「みんな違ってよい」より深い

アネーカーンタヴァーダは、「一つの端・側面だけではない」という意味を持つ語です。日本語では多面性の理、非一面的な見方などと説明されます。

この思想が見ているのは、私たちの認識が限られているという事実だけではありません。対象そのものが、複数の性質、関係、時間的な変化を持つということです。人間が勝手に多くの見方を作るから世界が多面的になるのではなく、複雑な実在へ近づこうとすれば、単一の述語では足りなくなります。

『サルヴァールタシッディ』の第5章32節注は、一人の人物が、子から見れば父であり、父から見れば子であるという例を使います。「父」と「子」は無条件に同時成立する矛盾ではありません。関係が変われば、同じ人物について前景に出る性質が変わります。

したがって、アネーカーンタヴァーダは「矛盾する意見を全部正しいことにする思想」ではありません。どの関係、時間、状態、観点で、その言明が成り立つかを明らかにします。

一つと多くを、どちらかへ消さない

変化だけを強調すれば、約束をした昨日の自分と、約束を破った今日の自分を結ぶものが薄くなります。持続だけを強調すれば、人が学び、変わり、責任を引き受け直す可能性が見えなくなります。

ジャイナ教は、一つか多くか、永続か変化かを、片方だけで片づけません。対立する言葉が、異なる側面を指している可能性を調べます。ここに多面性の厳密さがあります。

ただし、私たちがすべての側面を同時に把握できるわけではありません。ジャイナ教では、完全な知は解脱へ向かう宗教的な道と結びついています。現代の対話で複数の意見を集めることと、全知を同じものにはできません。

現代思想との対比:変化の中の同一性

現代の哲学でも、人や組織の同一性は大きな問題です。記憶が続けば同じ人なのか、身体が続けば同じなのか、関係や物語が同一性を作るのか。問いの立て方によって、守るべきものも変わります。

ジャイナ教の特徴は、この問題を個人の心理だけでなく、実体・性質・様態から成る世界全体の構造として考える点にあります。さらに、その知識は魂の束縛と解脱を見分けるために置かれます。現代の自己同一性論と問いは重なりますが、目標と世界像は異なります。

次章では、多面的な存在を、言葉でどのように語るのかを考えます。

参考文献

  • ウマースヴァーティ『タットヴァールタ・スートラ』第5章30節・32節・38節
  • プージュヤパーダ『サルヴァールタシッディ』第5章32節注
  • Bimal Krishna Matilal, The Central Philosophy of Jainism (Anekānta-vāda)
  • Marie-Hélène Gorisse, "Jaina Philosophy," Stanford Encyclopedia of Philosophy