死神の前で、何を選ぶのか
ナチケータスとガールギーの問答から、答えより先に問いの代価を引き受ける姿勢を読み解きます。
欲しいものを全部並べられても、問いを手放せるか
答えが出ない問いを抱えているとき、魅力的な別件が次々に届いたらどうするでしょうか。
仕事、収入、評判、娯楽。どれも現実には大切です。だからこそ、目の前に並べられると、最初に何を知りたかったのかが見えにくくなります。
『カッタ・ウパニシャッド』の少年ナチケータスは、まさにその試験を受けます。相手は死神ヤマです。
三つ目の願い
父の言葉を真に受けたナチケータスは、死神の国へ向かいます。ヤマの留守中に三夜待ったため、帰宅したヤマは三つの願いを与えました。
最初の二つで、少年は父との和解と祭火の教えを願います。三つ目だけは性質が違いました。
三つ目は、人が死んだ後にも自己は存在するのか、それとも存在しないのか、その真相を教えてほしいという願いでした。
ヤマは答えを避けます。神々でさえ迷った難問だから、別の願いを選べと言うのです。長寿、子孫、家畜、富、美しい音楽。人が望みそうなものを並べます。
ナチケータスは、それらがいつか失われることを見抜き、問いを変えません。
ここで彼が行っているのは、別のウパニシャッドに現れる「ネーティ・ネーティ」、すなわち「これではない、これでもない」と限定を退けていく表現の実演ではありません。『カッタ』自身が重視するのは、ヤマが続いて示すシュレーヤス(真に望ましいもの)とプレーヤス(快いもの)の区別です。快いものが悪いのではなく、快さが最初の問いを見失わせることがあるのです。
ガールギーは、問いの鎖を伸ばす
『ブリハッドアーラニヤカ・ウパニシャッド』には、別の緊張をもつ問答があります。学者ガールギーは、世界が水に織り込まれているなら、その水は何に織り込まれているのかと問い、答えが返るたびにさらに先を尋ねます。
やがてヤージュニャヴァルキヤは、これ以上問えば頭が落ちると警告します。この場面を「論理が限界に達した」という美しい寓話だけにまとめると、古代の論争にあった権威や危険が消えてしまいます。ガールギーはいったん退きますが、後の問答で再び立ち、不滅なるものについて問い直します。
ナチケータスとガールギーの問い方は同じではありません。一人は誘惑の中で問いを守り、もう一人は答えの連鎖を押し広げます。共通するのは、問いが知的な飾りではなく、立場や安心を賭ける行為になっていることです。
現代への応用(本記事での解釈)
大きな決断の前で、答えを急ぐ代わりに二列のメモを作ります。
- いま気持ちよくなれる選択
- 後から見ても守りたい選択
両者が一致することもあります。違っているなら、どちらを選ぶかより先に、何が問いをすり替えようとしているかが見えてきます。
観察しただけで正解になるわけではありません。それでも、自分の問いを自分で見失う可能性は小さくできます。
参考文献
- 『カッタ・ウパニシャッド』第1章第1節-第2節
- 『ブリハッドアーラニヤカ・ウパニシャッド』第3章第6節・第8節
次章では、問いの向きを外界から睡眠へ移します。眠っている間、自己はどのように語られるのでしょうか。