交相利は、なぜ約束だけでは続かないのか
『墨子』の交相利と反復ゲームを分けて読み、互いを利する関係が続く条件と、その限界を考えます。
共有スペースの片づけを、毎回一人だけが引き受けています。ほかの人もいずれ手伝うだろうと思って始めましたが、何週間たっても状況は変わりません。
「先に協力すれば、相手も協力してくれる」。この期待が外れたとき、助け合いはどこまで続けられるでしょうか。
『墨子』の「交相利(こうそうり)」は、互いを利する関係を説きます。しかし、それを「親切は必ず返ってくる」という保証として読めば、現実に裏切られた瞬間に教え全体が崩れてしまいます。
兼相愛と交相利は、二つの別々な標語ではない
「兼愛中」は、相愛さない関係を何に替えるのかと問い、次のように答えます。
以兼相愛交相利之法易之。
互いに兼ねて愛し、互いに利する方法へ替える。――『墨子』「兼愛中」
「愛」と「利」は、心と損得を別々に担当する二本の教えではありません。他者を配慮の範囲へ含めることが、実際にその人の生、家、国を利する行為として現れる。その結び付きが「兼相愛、交相利」です。
ここでいう「利」も、目先の利益だけではありません。兼愛篇が見ているのは、強者が弱者を抑えず、富者が貧者を侮らず、国どうしが攻め合わない「天下の治」です。食べ物や財貨だけでなく、生命、安全、協力できる秩序が含まれます。
原文は、返報をかなり強く言い切る
兼愛は実行できないという反論に対し、「兼愛中」はこう述べます。
夫愛人者、人亦從而愛之;利人者、人亦從而利之。
人を愛する者は人から愛され、人を利する者は人から利される。――『墨子』「兼愛中」
原文が、相手からの応答を強く期待していることは隠せません。墨家は、山を持ち上げるような不可能事とは違い、君主が政治として採用し、人々が実践すれば兼愛は行えると弁護します。
ただし、この文を「私が一度助ければ、同じ相手が必ず返礼する」という経験則に変えると、論証の範囲が狭くなります。篇が問題にしているのは、個人間の一回の取引だけでなく、人と人、家と家、国と国の関係をどの規範で整えるかです。
交相利は、返報の保証ではありません。互いを害する秩序と、互いを利する秩序のどちらを政治として育てるのかという選択です。
二人とも得をするのに、なぜ協力しないのか
互いに助け合えば暮らしやすくなる。それでも、自分だけが負担を引き受けるのは怖い。この食い違いを、選択と利益の関係から調べるのがゲーム理論です。交相利の期待する応答が、どんなときに生まれ、どんなときに途切れるのかを考えるために、「囚人のジレンマ」というモデルを見てみましょう。
名前は取り調べを受ける二人の囚人の例に由来しますが、ここでは共有スペースの片づけに置き換えます。次の数字は、便利さと手間をまとめて点数にした、説明用の仮定です。二人は相談せず、それぞれ片づけるか、任せきりにするかを選びます。
- 二人とも片づけるなら、ほどよい手間で快適になり、それぞれ3点。
- 一人だけが片づけるなら、任せた人は手間なしで快適になって5点、片づけた人は負担が重く0点。
- 二人とも片づけないなら、不便ですが手間はかからず、それぞれ1点。
相手が片づけると分かっていても、自分は任せたほうが3点より高い5点を得ます。相手が片づけない場合にも、自分だけ働く0点より、何もしない1点が有利です。つまり、相手がどちらを選んでも、自分の点数だけを考えれば任せるほうが得になります。モデルでは、この選択を「裏切り」、片づける選択を「協力」と呼びます。
二人とも同じ計算をすると、結果は1点ずつです。協力し合えば3点ずつ得られたのに、それぞれが自分に有利な選択をしたため、二人とも悪い結果へ着いてしまう。これがジレンマです。一回限りの難しさは、相手を疑う気持ちだけでなく、協力より裏切りが有利になる利益の配分にあります。
また会う見込みが、今日の選択を変える
同じ相手と何度も関わるなら、今日の5点だけでは計算が終わりません。今回ただ乗りしたために、相手が次回から協力をやめれば、将来得られたはずの3点ずつを失います。その損失を十分に重く見る状況では、目先の得を取るより、協力関係を保つほうが有利になりえます。
ロバート・アクセルロッドらは、このように選択を繰り返す「反復ゲーム」で協力が続く条件を研究しました。アクセルロッドのコンピューター競技で高い成績を上げた「しっぺ返し」は、最初は協力し、次から相手の前回の行動をまねる戦略です。裏切りには裏切りを返すため、ただ乗りには次回の代価が伴います。相手が協力へ戻れば、こちらも次回は協力へ戻ります。
この成績は、どんな関係でも使える必勝法を意味しません。将来また会う見込みが小さければ、失う協力の価値も小さくなります。反復は協力を支える余地を作りますが、利益の配分や相手の戦略によって、実際の結果は変わります。
この比較から、「利すれば利される」という期待を二つに分けて考えられます。一つは、他者への行為がその後の応答を変え、自分にも影響するという着眼です。もう一つは、どの条件で協力を返すかという具体的な規則です。しっぺ返しが定めるのは後者までですが、『兼愛中』が説く交相利には、相手の前回の行動をまねる規則はありません。篇が求めるのは、人・家・国が互いを利する政治の方向です。
「利される」の先に、どんな天下を望むのか
ここで「兼愛中」の結びに戻りましょう。
欲天下之富而惡其貧、欲天下之治而惡其亂、當兼相愛、交相利。
天下が富むことを望んで貧しさを嫌い、天下が治まることを望んで乱れを嫌うなら、互いに兼ねて愛し、互いに利するべきである。――『墨子』「兼愛中」(本記事訳)
ここで望まれているのは、自分が返礼を受け取ることを越えた、天下の富と治です。他者を利する行為に応答があるという議論は、その秩序を実行できると説くために置かれています。「自分への見返りはあるか」という疑問から読み始めると、この結びで「どんな関係を社会全体に育てたいか」へ問いが広がります。
その方向へ人々の行為をどう揃えるのか。第二部で扱う天志、賞罰、尚同は、この難題への墨家の答えです。そこには協力を支える力がある一方、異論を抑える危険もあります。
現代への応用(本記事での解釈)
「みんなで協力しよう」という呼びかけが続かないとき、協力する人の人格より、関係の条件を見ます。
- 協力したことが、ほかの人に見えるか。
- 負担が同じ人へ固定されていないか。
- ただ乗りや誤解に対処する手続きがあるか。
- 失敗した人が、もう一度協力へ戻れるか。
これは、交相利が目指す相互の利益と、反復ゲームが調べる協力の条件を手がかりにした、本記事の確認方法です。負担の配分や誤解からの回復も、現実の助け合いを考える課題として加えています。片づけを休んだ理由が、ただ乗りなのか、急な事情なのかを取り違えれば、非難への反発から関係が悪くなることもあるでしょう。冒頭の片づけなら、一人へ善意を求め続けるより、分担を見えるようにし、負担を相談できる機会を作ることから始められます。
次章では、応答が返る見込みさえ薄い遠い他者を、なぜ配慮すべきなのかを考えます。