墨子を学ぶ 第一部
1章 / 全4

兼愛は、家族を愛するなという命令か

『墨子』の兼愛と別愛から、身近な人を大切にしながら、他者を配慮の外へ追い出さない倫理を考えます。

nakano
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避難所に、残り少ない水が届きました。自分の家族へ多く渡したいと思うのは、自然なことでしょう。けれども、全員が同じように動けば、声の小さい人や身寄りのない人には水が残りません。

家族を大切にすることと、家族の外にいる人を犠牲にしないこと。この二つは、どうすれば両立するのでしょうか。

『墨子』の「兼愛(けんあい)」は、この難問を「もっと優しい人になろう」という勧めだけで終わらせません。誰の生、家、国までを道徳的な配慮に含めるのか。その境界を社会の秩序そのものとして問い直します。

一人の思想家だけが書いた本ではない

最初に、『墨子』という書物について確認しておきましょう。

歴史上の墨子、すなわち墨翟(ぼくてき)について確実に分かることは多くありません。現在の『墨子』は、論説、対話、逸話、論理学的な文章、守城技術の記録などを含む文集です。研究上は、紀元前5世紀から3世紀ごろにかけて、複数の墨家集団が書き継いだと考えられています。

そのため本シリーズでは、すべてを一人の発言にまとめず、「『兼愛』篇はこう論じる」「『公輸』の物語はこう描く」と書き分けます。そのほうが、墨家という運動の広がりも見えてきます。

争いの原因を「不相愛」から考える

「兼愛上」は、天下の乱れがどこから生じるかを、病気の原因を探す医師になぞらえて考えます。そして、君臣、父子、兄弟、家と家、国と国が互いを害するのは、「相愛さないこと」から生じると診断します。

若使天下兼相愛、國與國不相攻、家與家不相亂。
もし天下の人が互いに愛し合うなら、国は攻め合わず、家は乱し合わない。――『墨子』「兼愛上」

ここで注意したいのは、家族への愛そのものを、戦争の原因と断定しているわけではないことです。批判の対象は、自分側の利益だけを数え、他者の生や家を配慮から外したまま害してよいとする関係です。

「兼愛中」は、その反対の見方を次のように表します。

視人之國若視其國、視人之家若視其家、視人之身若視其身。
他人の国を自国のように、他人の家を自家のように、他人の身体を自分の身体のように見る。――『墨子』「兼愛中」

兼愛とは、まず、他者の国・家・身体も自分側と同じく害してはならない対象として見ることです。現代の研究では、universal love よりも inclusive care、つまり「包摂的な配慮」と訳されることがあります。愛情の量を機械的に均一にするというより、誰も道徳的な計算から除外しない点を捉えやすい訳です。

孟子は、なぜ「父を無みする」と批判したのか

それでも、兼愛は当時から危険な教えに見えました。孟子は、墨家の兼愛を「父を無みする」、つまり父への特別な関係を消す思想だと厳しく批判します。

この批判には、いまも残る問いがあります。すべての人を同じく配慮するなら、自分の子どもを先に助けることは許されないのでしょうか。親の介護と、見知らぬ人への援助は、まったく同じ仕方で行うべきなのでしょうか。

『墨子』の文章には、平等な配慮を強く要求する表現があります。一方、後期の墨家文献には、すべての人への配慮を認めながら、関係に応じて実際の扱いが異なる余地も見られます。少なくとも、兼愛を「家族を愛するな」という一文だけに縮めることはできません。

核心にあるのは、身近な人を大切にするときにも、他者の損失を無価値として扱わないことです。避難所で自分の子どもへ水を渡すことと、ほかの子どもの分まで奪うことのあいだには、大きな違いがあります。

別愛は、愛情の濃さだけを指す言葉ではない

兼愛と対置されるのが「別(べつ)」です。人を分け、自分側だけを利し、他者を害する関係を指します。日本語では「別愛」と説明されることがありますが、家族への愛情が濃いだけで、直ちに別愛になるわけではありません。

線を引いた先で、何が起きているかが問題です。

  • 自分の家を守るために、他人の家を乱してよいと考える。
  • 自国を富ませるために、他国から奪ってよいと考える。
  • 自分の仲間の損失だけを数え、外部の被害を数えない。

兼愛篇の鋭さは、悪意よりも先に、配慮の範囲を見ます。相手を憎んでいなくても、相手の害を計算から外せば、侵害は起こりうるからです。

兼愛が配慮の範囲を広げる構造

現代への応用(本記事での解釈)

何かを「私たちの利益」と呼ぶとき、主語を一度だけ確かめます。

  1. その「私たち」には、誰が含まれているか。
  2. 決定の利益を受ける人と、負担を受ける人は同じか。
  3. 家族や組織を守るために、外部の人の害を見えなくしていないか。

この三つは、兼愛篇が問う配慮の境界を、現代の決定へ移した確認項目です。

兼愛は、身近な愛を消すところから始まりません。身近な愛が強いときにも、その外側にいる人の生を無価値にしないところから始まります。

次章では、配慮を広げれば本当に相手から応答が返るのかを考えます。「交相利」は、協力の保証なのでしょうか。

参考文献