生まれではなく行為とは、能力主義なのか――バラモンを定義し直す
ヴァサラ経、ヴァーセッタ経、耕作者との対話を読み、生まれによる身分を退けた先に、どのような行為の基準が置かれたかを考えます。
侮辱されたとき、相手の言葉を否定する方法があります。
「私はそんな人間ではない」と反論する方法です。しかし、もう一つあります。相手が使った言葉の意味そのものを問い返す方法です。
『スッタニパータ』1.7「ヴァサラ経」で、托鉢中のブッダは、祭祀を行っていたバラモンから「賤しい者」と罵られます。
ブッダは怒鳴り返しません。「何が人を賤しい者にするのか、知っていますか」と尋ねます。
侮辱語の定義を問い返す
相手が知らないと答えると、ブッダは行為を列挙します。
殺すこと、奪うこと、借りたものを返さないこと、偽りを語ること、老いた親を養わないこと、悪い助言をすること、受けた厚意へ応えないこと、自分を持ち上げて他者を見下すこと。
そして、生まれによって賤しい者になるのでも、生まれによってバラモンになるのでもない。行為によってそう呼ばれるのだと語ります。
この対話の力は、侮辱を単に拒否したところにはありません。「誰が下か」を争っていた言葉を、「どのような行為が人を害するか」を問う言葉へ作り替えたところにあります。
身分語が、倫理的な自己点検の語へ反転します。
人間の身体に、身分の印はあるのか
『スッタニパータ』3.9「ヴァーセッタ経」は、別の角度から生まれと身分を考えます。
二人の若いバラモンが、何によって真のバラモンになるのかを争います。一人は生まれを、もう一人は行いを重く見ます。答えを求められたブッダは、草木、昆虫、鳥、獣などには、それぞれを見分ける特徴があると述べます。
ところが人間の場合、髪、頭、耳、目、口、手足などを見ても、社会的な身分に対応する別々の種類は見いだせません。
これは近代生物学の人種論を先取りした発見ではありません。古代インドの議論の中で、身体の違いから社会的な上下を必然化できるのかと問い返す論証です。
続いて経は、農業をする人は農夫、技術で暮らす人は職人、商いをする人は商人というように、呼称が仕事や行為に応じて生じると述べます。社会的な名前は身体に刻まれた本質ではなく、人が何をしているかに結びついています。
しかし、話は「努力した人が上へ行ける」で終わりません。経が最後にバラモンと呼ぶのは、競争に勝った者でも、多くを稼いだ者でもなく、執着を断ち、怒りを抑え、害をなさず、重荷を下ろした者です。
能力主義と同じ答えではない
現代社会も、「生まれではなく、能力と努力で評価する」と語ります。この点だけを見れば、ヴァーセッタ経は能力主義の古い宣言に見えるかもしれません。
けれども、両者が人を測る目的は異なります。
能力主義は、仕事や試験の成果を比較し、地位や報酬を配分する仕組みです。生まれによる固定より移動の可能性を開きますが、成功した者は努力したから価値があり、失敗した者は努力が足りないという新しい上下関係も作りえます。
ヴァサラ経やヴァーセッタ経が問う行為は、競争上の成績ではありません。殺さない、奪わない、偽らない、他者を見下さない、執着を断つという倫理と修行です。
生まれという評価軸を外したあと、別の序列表を置くのではなく、自分の行為が苦と害を増やしていないかへ視線を戻します。
「働かない修行者」への問い
同じ『スッタニパータ』には、耕作者バーラドヴァージャとの対話があります。
耕作者は、托鉢に来たブッダへ、自分は耕し、植え、その後で食べている。あなたも働いてから食べるべきだと言います。これは、宗教者の生活を支える労働は誰が担うのかという、現在にも通じる厳しい問いです。
ブッダは、自分も耕していると答えます。信は種、修行は雨、智慧は軛と鋤、念は鋤先と突き棒、真実は草を刈る刃、精進は荷を引く牛だと、農耕の言葉で修行を語ります。
これは農作業より精神修行が上だという単純な勝利ではありません。耕作者の批判を受け止め、彼が知る労働の工程を使って、修行にも継続、節制、道具、成果があると説明した応答です。
異なる生き方を持つ二人が、相手の言葉を奪って終わるのではなく、その言葉で別の労働を見えるようにしています。
現代への応用(本記事での解釈)
履歴書や肩書きを無視することはできません。資格が必要な仕事もあり、経験を確認すべき場面もあります。問題は、それらの情報から人間全体の価値まで決めてしまうことです。
人を評価するとき、問いを三つに分けます。
- 生まれや出身など、本人が選べなかった条件を見ているのか。
- 職業や地位など、社会の中で与えられた呼称を見ているのか。
- その人が実際に、誰を害し、誰を助け、何を誠実に行ったかを見ているのか。
三つを分けると、「属性を見ない」という抽象的な善意より、判断のどこに偏りが入ったかを確かめやすくなります。
次章では、古代インドの女性修行者たち自身の言葉を読みます。そこでも、後世が与えた人物像より、まず本人に帰された詩を聴くことが必要です。
参考文献
- 『スッタニパータ』1.4「耕作者バーラドヴァージャ」、1.7「ヴァサラ経」、3.9「ヴァーセッタ経」。
- 『ダンマパダ』第26章「バラモン」。
- SuttaCentral, Vasalasutta (Snp 1.7).
- SuttaCentral, Vāseṭṭhasutta (Snp 3.9).
- SuttaCentral, Kasibhāradvājasutta (Snp 1.4 / SN 7.11).