共同性は、何を守れたときに希望になるのか
ソロヴィヨフとテイヤールの歴史への希望を比較し、全一性・自由・他者性を壊さない共同性の条件を考えます。
歴史に希望を持つとは、何を信じることか
社会が分断しているとき、「いつか一つになれる」という言葉は人を支えます。同時に、その一つが誰の声で作られるのかという不安も生みます。
ソロヴィヨフの全一性は、世界と人間の歴史を神から切り離された断片のまま終わらせません。神と人間、精神と物質、多様な人びとが自由に結ばれる神人性の実現を、キリスト教的な歴史の課題として描きます。
20世紀のイエズス会司祭で古生物学者でもあったピエール・テイヤール・ド・シャルダンも、進化を意識の複雑化と結びつけ、キリストに重なる完成をオメガと呼びました。人間同士の結びつきが強まりながら、人格が消えるのではなく、より深く人格化されるという希望を語ります。
二人を「同じ宇宙論」にしない
二人には、被造世界の歴史がキリスト教的な完成へ向かうという共通の関心があります。しかし、同じ理論へ到達したわけではありません。
ソロヴィヨフは、ソフィア、神人性、普遍教会を軸に、東西教会と近代文明の分裂を考えました。テイヤールは、進化、生物圏、意識の複雑化を一つの長い過程として読み、オメガをキリストと結びつけました。科学的な語彙を含む後者にも、経験科学だけでは検証できない神学的な展望があります。
そのため、「時代の違う二人が同じ宇宙の真理を発見した」と結論づけることはできません。比較から見えてくる面白さは、別々の時代のキリスト教思想が、個人を消さずに世界の統一を語ろうとした点にあります。
希望には、検査が必要になる
統一へ向かう物語は、未来を開くことも、現在の異論を押しつぶすこともできます。「最後には一つになるのだから」と言われた人が、いま受けている痛みや不正を黙らされるなら、その希望は他者を材料にしています。
第1章から第3章までの緊張を残すと、共同性を四つの問いで確かめられます。
- 違いが、共同体の中で見える形のまま残っていますか。
- 同意しない人が、罰を恐れずに異議を述べられますか。
- 関係を結び直す自由と、必要なら離れる自由がありますか。
- 理解しきれない他者、とくに弱い立場の人への責任がありますか。
これはソロヴィヨフやテイヤールが、そのまま提示したチェックリストではありません。全一性、自由、ブーバーの関係、レヴィナスの他者性を、現代の共同性へ移すための本記事での解釈です。
孤独から始めても、孤独を美化しない
第一部は、ソボールノスチを「一緒にいること」と「自由であること」を両立させる課題として読みました。第二部では、その問いを世界観の規模まで広げました。
全一性は、違いを消さない統一を求めます。根源的自由は、善も悪も選びうる人格の危うさを示します。ブーバーは、関係の「あいだ」で人が変わる瞬間を照らします。レヴィナスは、どの統一にも収まりきらない他者への責任を残します。
ここから得られるのは、「孤独には宇宙的な使命がある」という慰めではありません。孤独を抱えた人を称賛する前に、その人が役割へ閉じ込められていないか、話す機会を奪われていないかを確かめることです。
共同性は、全員が同じになったときに完成するのではありません。違い、自由、異議、責任を保ったまま、関係を作り直せるときに希望になります。
付録:総合図解
図解1:全一性が区別する二つの統一
図解2:ベルジャーエフの自由を、孤独の診断にしない
図解3:ブーバーとレヴィナスは、同じ答えではない
図解4:歴史への希望を、共同性の条件へ移す
参考文献
- ウラジーミル・ソロヴィヨフ『ロシアと普遍教会』
- ウラジーミル・ソロヴィヨフ『神人性についての講義』
- ニコライ・ベルジャーエフ『創造の意味』
- マルティン・ブーバー『我と汝』
- エマニュエル・レヴィナス『全体性と無限』
- ピエール・テイヤール・ド・シャルダン『現象としての人間』