セリティを学ぶ 第二部
3章 / 全5

よい指導者は、何をもたらす人か

地位や威厳ではなく、人びとに何をもたらしたかで指導者を測る視点を、Ratheteが紹介するmotswadintleと首長のセリティから考えます。

nakano
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アフリカ哲学

声が大きい人と、よい指導者は同じか

人を圧倒する話し方。迷いのない決断。立派な肩書。指導者の「存在感」は、こうした目に見える特徴で語られがちです。

しかし、その人のもとで暮らす人びとの生活が悪くなっているなら、存在感の強さをセリティと呼べるのでしょうか。

Ratheteは、Gulbrandsenがバツワナの王を論じた研究を参照し、よい王を表す語としてmotswadintleを紹介します。直訳に近い言い方をすれば、「よいものがそこから出てくる人」です。

ここは資料の範囲に注意が必要です。motswadintleは、Ratheteが北ソトの一般的な呼び名として示した語ではありません。バツワナの王を扱う別の研究から、指導者のセリティを考える比較例として引いています。

ここで指導者は、力を内側に蓄える人としてではなく、知識、保護、食料、秩序などを人びとへもたらす人として評価されます。地位の高さより、統治の結果が問われています。

セリティは、肩書に自動で宿らない

論文に登場する王や首長には、飢え、病、戦争から人びとを守り、共同体の繁栄を支えることが期待されていました。戦略的な知識を得て、状況の変化を読み、周囲を説得する力も必要でした。

この記述が面白いのは、伝統を守ることだけがよい統治とはされていない点です。植民地支配と宣教が進む状況で、新しい宗教や技術を受け入れるかどうかは、単なる信仰の問題ではなく、人びとの生存に関わる政治判断でもありました。

もちろん、論文が紹介する歴史の評価を、そのまま正しい結論として受け取ることはできません。宣教や植民地化は、選択肢を対等に並べた変化ではなかったからです。「新しいものを採用して成功した王」という物語だけでは、何を奪われ、どのような抵抗があったのかが見えなくなります。

それでも、指導者のセリティが世襲の地位だけで決まらず、人びとの生活に何をもたらしたかによって増減するという視点は残ります。

成果だけで測ることにも、危険がある

では、結果がよければ、どのような手段を使ってもよいのでしょうか。

ここでmotswadintleの基準には、もう一つの点検が必要です。指導者が一部の人に利益をもたらし、その費用を別の人へ押しつけている場合、「よいものが出てきた」とは誰にとっての話でしょうか。短期的に豊かになっても、異議を唱える人が黙らされているなら、その繁栄は共同体全体のセリティを高めたと言えるでしょうか。

Ratheteが過去から調査時点への変化を読むために設けたカテゴリーCは、自分を強くするために他者を害し、不当な優位を得る問題を含みます。指導者の成果を見るときも、利益の総量だけでなく、その利益と負担の配られ方を見なければなりません。

現代への応用(本記事での解釈)

職場の管理職、学校の責任者、地域の代表、政治家。現代の指導者を考えるとき、カリスマや自己演出に目を奪われることがあります。

motswadintleを現代へ引き寄せるなら、問いは具体的になります。

  • その決定によって、誰の生活がよくなったか
  • 必要な知識を独占せず、周囲へ渡しているか
  • 危機の負担を、弱い立場の人だけに背負わせていないか
  • 異論を述べた人の尊厳を守っているか
  • 次の指導者が育つ仕組みを残しているか

よい指導者は、周囲を小さくして自分を大きく見せる人ではありません。人びとが自分で判断し、行動できる条件を増やす人です。

指導者のセリティを流れで評価する

ただし、共同体のために働くことを強調しすぎると、個人の意見や拒否する権利が消えてしまいます。次章では、「私たち」を大切にしながら「私」を失わないための論争を見ていきます。