ウブントゥを学ぶ 第一部
6章 / 全8

共同体は、いつ人を傷つけるのか——ウブントゥの影を読む

連帯と共同体が同調圧力へ変わる条件を、個人の権利、ジェンダー、異論の保護から検討します。

nakano
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アフリカ哲学
人権
ジェンダー

「みんなのためだから、あなたも我慢してほしい」

この言葉は、困難を分かち合う呼びかけにもなります。反対する人を黙らせる命令にもなります。

人は他者を通じて人となる。ウブントゥの格言を、共同体はいつも個人より正しいという意味に変えると、関係の外へ追い出される人が生まれます。

ウブントゥの価値を本気で考えるなら、その明るい面だけでなく、共同体の名で誰が沈黙させられるかを見なければなりません。

「共同体に合う人」だけが人間になる危険

ウブントゥをめぐる思想の一部は、道徳的人格が共同体の中で育つことを強調します。子どもは言葉、世話、規範、儀礼を他者から学びます。誰の助けも受けずに人間になる人はいません。

しかし、共同体が人格の基準を独占すると、「よい人」の型に合わない人が未熟、利己的、反社会的と見なされる危険があります。

年長者に従わない若者。家族の期待する結婚を選ばない人。宗教的・性的な少数者。暴力のある家庭や地域から離れたい人。こうした人に「関係を大切にしなさい」と求めると、連帯は拘束へ変わります。

関係の中で育つことと、その関係から離れられないことは別です。

ジェンダーから見ると、誰の世話が見えなくなるか

ウブントゥは、思いやり、世話、相互扶助と結びつけて語られます。そこで必要になるのが、その世話を実際に担っているのは誰かという問いです。

家事、育児、介護、感情の調整が、女性や立場の弱い人へ偏っていても、「みんなで支え合う共同体」という表現だけでは負担が見えません。世話を価値として称賛する一方で、世話する人の時間、身体、安全、選択が守られているかを確かめる必要があります。

政治学者アマンダ・ゴウズとミッキ・ファン・ザイルは、南アフリカで語られる人権とウブントゥの双方が、憲法の約束した尊厳と平等を、とくに女性に十分もたらしていないと批判しました。そして、権利と関係を対立させるのではなく、フェミニストのケア倫理とウブントゥを結び直す道を探ります。

ここでいうケア倫理とは、人が互いの世話を必要とすることから、よい関わり方や責任を考える倫理です。誰が何に困っているか、その必要に誰が応じ、応じる人にはどのような負担がかかるかに目を向けます。フェミニストの議論では、世話を女性の当然の役割とする慣行も検討の対象になります。

身近な例で考えてみます。親の介護を一人の娘が引き受け、そのために仕事を減らしている家族があります。「家族で支え合っている」と言うとき、親が受ける支えは見えても、娘が失う収入や休息は見えにくくなります。娘の献身を褒めるだけでなく、ほかの家族による分担や外部の支援を考えると、世話する人も支えられる関係へ近づきます。

ゴウズらが探るケア倫理とウブントゥの結び直しは、こうした問いを考える手がかりになります。人間性を関係の中で育てるという言葉を、支えられる人と支える人の両方へ向けられるからです。世話を担う人の休息や選択も尊重してこそ、関係の中で互いを人として大切にすることが具体的になります。

連帯が支えにも圧力にもなる条件

個人の権利は、関係を壊す道具なのか

共同体と個人の権利は、しばしば対立するものとして描かれます。

けれども、権利は「私は誰にも関係なく好きにする」という宣言だけではありません。集団や国家が個人を手段として扱わないための境界でもあります。発言する権利、離れる権利、身体の安全、信仰や生き方を選ぶ権利があるからこそ、関係への参加が強制ではなくなります。

逆に、権利を形式だけにすると、世話を受けられない人や、経済的に選択できない人が取り残されます。法の上で自由でも、生活を支える関係がなければ、その自由を使えません。

ウブントゥと権利を組み合わせる面白さは、互いの弱点を照らせることにあります。

  • 権利は、共同体が越えてはならない境界を示す。
  • ウブントゥは、権利を実際に使える関係と責任を問う。
  • 両方が、誰の声と負担を見落としているかを批判から確かめる。

「本物のウブントゥなら抑圧しない」で終えない

共同体による抑圧を指摘すると、「それはウブントゥの誤用であり、本物のウブントゥではない」と返すことができます。

たしかに、人の尊厳を傷つける行為は、ウブントゥが掲げる人間性と矛盾します。しかし、この返答だけでは、誰が「本物」を決めるのか、なぜ誤用が繰り返されるのかが分かりません。

概念は、よい定義を持つだけでは人を守れません。異論を言える手続、権力を監視する制度、離脱できる選択肢、被害を訴えた人を守る仕組みが必要です。

現代への応用(本記事での解釈)

「みんなのため」という決定に出会ったら、四つを確認します。

  • その「みんな」に入っていない人は誰か。
  • 支え合いを実際に担う負担は、誰へ集中しているか。
  • 反対した人は、不利益を受けずに発言できるか。
  • 関係から離れる選択は残っているか。

関係を守るために、境界が必要なことがあります。ウブントゥを成熟させるのは、共同体への無条件の信頼ではなく、共同体もまた人間性を失いうるという警戒です。

次章では、異論を含む対話の場として語られるインダバを取り上げます。

参照資料