墨子を学ぶ 第二部
1章 / 全3

「正しさ」が十通りある社会を、どう一つにするのか

『墨子』の尚同と天志から、共通の判断基準が争いを収める力と、異論を押さえ込む危険を考えます。

nakano
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同じ会議に出ていたのに、三人がまったく違う「正しさ」を持ち帰ることがあります。

一人は納期を守ることが正しいと言い、別の人は品質を落とさないことが正しいと言い、もう一人は現場を疲弊させないことが正しいと言います。どの主張にも理由があります。しかし、判断を一つにしなければ仕事は動きません。

『墨子』「尚同上」は、この問題を極端な形で描きます。政治的な長がまだいなかった時代には、一人なら一つ、二人なら二つ、十人なら十の「義」があった。そのため、人は自分の義を正しいとし、他人の義を誤りとして非難し合ったというのです。

ここでいう義は、個人の好みではありません。何が正しく、何を行うべきかという判断です。『墨子』が問うのは、正しさが複数ある社会で、争いを止める基準を誰が定めるのかという問題です。

尚同は、上位者へ判断を揃える

「尚同(しょうどう)」は、文字どおりには上へ同じることを意味します。『墨子』は、徳と能力のある者を里長、郷長、国君、天子として立て、判断を段階的に上へ揃える構想を示します。

現場から上へ送られるのは、服従だけではありません。「尚同上」には、善い行いも悪い行いも上位者へ報告し、上位者に過ちがあれば諫め、下位者に善があれば推薦せよとあります。情報は下から上へ集まり、是非の基準は上から下へ広がります。

ただし、これは民主的な合意形成や、参加者が対等に決める分散型組織ではありません。上位者の判断へ同じる者は賞され、従わない者は罰されます。尚同が目指すのは、多様な価値観をそのまま共存させることではなく、天下の義を一つにすることです。

この厳しさを消すと、尚同は現代の組織論に都合のよい「共通目的」の話になります。しかし、原典の面白さは、秩序が必要だという切実さと、秩序を作る権力の危うさが同じ構想の中にあることです。

天志は、物差しであり、天の意志でもある

では、最上位の天子が誤ったとき、何を基準に正せばよいのでしょうか。

『墨子』が置く基準が「天志(てんし)」、すなわち天の意志です。「天志上」は、天志を車輪職人の規と工匠の矩にたとえます。円いか、四角いかを測る道具があれば、職人の気分に左右されず判断できます。同じように、天志を用いれば、行為が義にかなうかを測れるというのです。

この比喩だけを見ると、天志は人間から独立した規則やプロトコルに見えます。しかし、『墨子』の天は無機質なコードではありません。人々を兼ねて愛し、互いに利することを望み、善を賞し不義を罰する道徳的な主体です。

墨家の「兼愛」は、全員へ同じ感情を抱くことではなく、自分や自国だけを特別扱いせず、他者の生命や家、国にも配慮を及ぼすことです。「交利」は、その配慮を互いの利益になる行為へ移すことを示します。天志は、公平な物差しとして働くと同時に、天への宗教的な信頼によって支えられています。

ホッブズも、正しさの分裂を恐れた

17世紀のトマス・ホッブズも、人々がそれぞれ自分の判断に従う状態から、争いが生まれると考えました。『リヴァイアサン』で示した解決は、人々が一人または一つの合議体を主権者として授権し、その判断に従うことです。内戦よりは、統一された強い権威のほうがよいという選択でした。

尚同とホッブズが共有するのは、善意ある個人を増やすだけでは判断の衝突を収められない、という問題意識です。誰かが最終的な判断を下し、それを社会全体へ通す仕組みが必要になります。

しかし、二つの答えは同じではありません。ホッブズの主権者は、人々の授権によって成立します。尚同では、賢者を正長として選び、里から天子へ義を統一し、さらに天の意志を最高の基準とします。政治的権威の根拠に、人間を越える天が入る点が大きく異なります。

もう一つ、両者に共通する難問があります。争いを止めるほど強い権威を作ったあと、その権威の誤りを誰が止めるのかという問題です。『墨子』は諫言を認めますが、同時に上位者への一致と賞罰も求めます。この緊張は、きれいには解消されません。

共通基準・決定者・訂正手段を分けて考える

現代の組織へそのまま尚同を移すことはできません。ただし、判断が割れた場面を三つの問いに分ける手がかりは得られます。

  1. 何を共通の基準にするのか。
  2. 誰が最終的に決めるのか。
  3. その決定が誤ったとき、誰がどう訂正できるのか。

この三つを一つの言葉で済ませると、「理念に従おう」と言いながら、実際には上司の判断へ従っていることがあります。反対に、全員の納得を待ち続け、誰も決定の責任を引き受けないこともあります。

尚同と天志は、共通基準のない社会が争いに傾くことを鋭く捉えました。同時に、その解決が強い階層と賞罰を必要とすることも隠していません。古典が残したのは、崩れない組織の完成図ではなく、秩序と異論を同時に守れるかという難問です。

尚同と天志の構造

次章では、命令や監視が届かない場所で、人はなぜ善悪に従うのかを考えます。そこで登場するのが、鬼神の賞罰を説く「明鬼」です。