誰がセリティを測るのか:尊厳を認める側の責任
共同体が育てる尊厳と、共同体の基準が生む排除を同時に見ながら、セリティを現代へ応用するための読み方を考えます。
尊厳は、評判と同じものなのか
ある人が、共同体から尊敬されている。
よく考え、よく語り、親切で、困っている人を迎え入れる。その人のふるまいを知る人びとが、「あの人にはセリティがある」と認める。ここには、自分で自分を立派だと宣言するだけでは得られない重みがあります。
しかし、共同体の評価をそのまま尊厳と同一視すると、別の問題が生まれます。
未婚で経済的に自立した女性が評価されない。シングルマザーが疑いの目で見られる。古い役割に従わない人が、「セリティのない人」とされる。前章で見た調査結果は、共同体が人格を育てる場所であると同時に、尊厳の境界線を引く場所でもあることを示しています。
セリティを現代に読むなら、問うべきなのは「どうすれば自分の存在感を強くできるか」だけではありません。
私たちは、誰のセリティを認め、誰のセリティを見えなくしているのか。二つの尊厳を、どちらも手放さない
第1章で見たように、論文には二つの水準がありました。
一つは、人は人であることによってセリティを持つという説明です。地位、職業、財産が人間としての尊厳を作るのではありません。
もう一つは、知恵、親切、寛大さ、誠実さ、他者への尊重を通して、セリティが認められ、高まるという説明です。
この二つは、競わせる必要がありません。
人間としての尊厳は、共同体の合格判定より先にある。けれど人格は、他者と無関係な内面だけでは育たない。誰にも奪えない尊厳を土台にしながら、行為の責任は関係のなかで問う。この二層を保つことで、セリティを評判主義にも、孤立した自己肯定にもせずに読めます。
現代への応用(本記事での解釈)
ここからは、セリティから現代の生活を考えるための、本記事での解釈です。
たとえば職場で、能力の高い人だけを「価値のある人」と見ていないか。家庭で、世話や感情労働を一人に背負わせながら、その負担を「立派な人らしさ」と呼んでいないか。SNSで、一度の失言や評判を、その人の人格全体にしていないか。
セリティの問いを置くと、評価の視線が二方向へ向きます。
- 私の行為は、他者の尊厳を支えているか
- 私が使う尊厳の物差しは、誰かを最初から不利にしていないか
カテゴリーCも、現代にそのまま対応物があると断定する必要はありません。ただ、「自分を強くするために、誰かを弱くしていないか」という判断軸は残ります。地位、評判、知識、制度を使って優位を得るとき、その利益は他者の尊厳を犠牲にしていないか。
影を持つとは、痕跡を引き受けること
「影」は、セリティのすべてではありません。それでも、最後に残す価値のある比喩です。
影は、自分だけでは形が決まりません。光の位置、地面の傾き、周囲のものとの重なりによって変わります。同じように、人格は自分の意図だけでは決まらない。自分が何をしたか、その行為を誰が受け取ったか、どのような関係と制度のなかで起きたかによって、異なる形を取ります。
だから「影を豊かにする」とは、存在感を演出することではないでしょう。
自分が残した痕跡を見直すこと。評価されていない人の尊厳を見落としていないか確かめること。共同体の基準が誰かを傷つけているなら、その基準を変える側に回ることです。
セリティは孤独を治す万能の処方箋ではありません。けれど、孤独な自己の内側だけを見続ける私たちに、別の問いを渡します。
あなたは何者か、ではなく、あなたは誰を尊重し、誰から尊重され、どの関係を作り変えているのか。その問いに答えるたび、尊厳は一人の所有物ではなく、人と人のあいだに残る輪郭として見えてきます。
付録:総合図解
1. 三分類と、調査時点で見えた変化
この図は、Rathete が設定したカテゴリーA・B・Cと、質問紙・聞き取りから論じた変化をまとめたものです。三分類を三つの独立した箱としてではなく、行為の目的と他者への影響を見分ける枠として読んでください。
2. 人・共同体・祖先・社会変化
セリティは個人の内面だけに置かれていません。日常の相互行為、祖先との関係、人生の移行を認める儀礼、社会が置く評価基準が重なります。最下部の循環は、評価された人格が次の世代の基準にも影響することを示します。
3. セリティを支える二層と、共同体の両義性
セリティには、人であることに伴う尊厳と、行為を通じて育ち、周囲から認められる人格という二つの層があります。どちらか一方だけでは、セリティの全体を捉えられません。
図の後半では、共同体が人格を育てる一方で、その評価基準によって人を排除することもあるという両義性を示します。最後の点検は、尊厳を守りながら、共同体の物差しを更新するための問いです。
参考文献
- Matome Bethuel Rathete, The Reality and Relevance of Seriti in the Past and Present: Its Essence and Manifestation in an African Religion Perspective with Special Reference to the Northern Sotho, University of South Africa, 2007(UNISA Institutional Repository公開: 2009). UNISA Institutional Repository
- R. J. Mönnig, The Pedi, J. L. van Schaik, 1967.