心を観察すれば、情報環境は変わるのか
画面の情報を選ぶ仕組みと、それを「私の立場」として受け取る働きを読み解き、個人・設計・制度から応答を考えます。
短い動画を一つ見ると、似た動画が次々に現れます。何度か立ち止まった話題が、翌日にはタイムラインの中心になっていることもあります。
やがて「世の中では、みんながこの話をしている」と感じ始めます。けれども、目の前にあるのは世界全体ではありません。自分の反応と、サービスの設計と、広告や事業の目的が交わって作られた眺めです。
この眺めを理解するには、表示された情報を自分がどう受け取るかと、そもそも何が表示されるよう選ばれたかを、両方見る必要があります。唯識と推薦システムの仕組みを並べると、この二つの問いを追いやすくなります。
唯識が照らすのは、経験の成立のしかた
前章までに見た末那識、三性、転依は、経験が中立な写しではないことを示します。
過去の行為が残した種子、阿頼耶識の流れを「私」とつかむ末那識、主客を実体化する分別。これらを通じて、同じ表示を見ても、何が重要に見えるか、何に傷つくか、何へ手を伸ばすかが変わります。
この視点は、推薦システムを見るときにも役立ちます。利用者は画面を受動的に眺めるだけではありません。クリック、滞在、共有、無視といった行為によって、次に提示される情報へ影響を返しています。
では、自分の行為は、どうやって次の画面へ戻ってくるのでしょうか。
「長く見た」は、どんな情報になるのか
推薦システムとは、大量の情報から、ある利用者へ提示する候補とその順番を選ぶ仕組みです。たとえば、コヴィントンらが2016年に公表したYouTubeの推薦システムでは、視聴や検索の履歴などから候補を絞り、別のモデルで順位をつけます。順位づけには、どのくらい長く視聴されると予測するかが用いられました。これは当時の具体的な設計例です。
ここで、「長く見ること」と「賛成すること」の違いを考えてみます。ある人が、腹を立てながら反対意見の動画を最後まで見たとします。視聴時間を使う仕組みにとっては、その行動も、長く見た記録になります。本人にとっては反論を探す時間でも、設計上は次の視聴を予測する材料になるのです。
この例から見えるのは、自分の反応が、仕組みの中では別の意味をもつことです。「何に賛同したか」を伝えたつもりがなくても、視聴という行為は表示を選ぶ材料になりえます。どんな情報が増えるかを考えるには、感情だけでなく、何が記録され、何を目標に順位がつけられるかを知る必要があります。
そのうえで末那識の問いへ戻ると、選ばれた情報を「私たちの正しさ」として受け取る場面が見えます。反対意見への応答が、内容の検討から「私の立場を守ること」へ変わっていないでしょうか。推薦の分析は目の前の材料が選ばれる経路を、唯識はそれを我と結びつける執着を照らします。両方から見ると、画面を変える働きかけと、その画面に向き合う自分の行為を考えられます。
画面の中には、少なくとも三つの働きがある
情報環境を一人の心だけに還元せず、三つの働きを分けてみます。
利用者の側
何に反応し、何を自分への攻撃と感じ、どの情報を「私の立場」と結びつけるか。ここには、末那識や四煩悩から考えられる執着の問題があります。
設計の側
どの反応を記録し、何を次に見せ、どの行為を目立たせるか。ボタンの位置、通知、ランキング、推薦の指標は、利用者が取りやすい行為を変えます。
制度と資源の側
誰が設計を決め、何を成功と評価し、どの情報が収益や政治的な力につながるか。利用者の内省だけでは変更できない条件が、ここにあります。
三つは結びついています。利用者の反応が設計の学習材料になり、設計が次の反応を誘い、その循環を事業や制度が方向づけます。以下の図は、その関係を簡略化したものです。
「心か環境か」という二択を越える
同じ動画が何度も現れるなら、表示の理由や推薦を調整する選択肢を確かめることができます。同時に、見た内容をすぐ共有する前に、自分が何を守ろうとしているかを振り返ることもできます。
唯識から受け取れるのは、行為と認識が次の経験を形づくるという厳しい見方です。一方、現代の制度分析は、その循環が個人の外側でも設計されていることを示します。
ここから本記事が考えるのは、それぞれの立場でできる応答です。利用者には注意と行為を見直す仕事があります。設計者には、利用者の弱さを収益化しない責任があります。組織や社会には、透明性、選択肢、安全を支える制度が必要です。
現代への応用(本記事での解釈)
情報に強く反応したとき、内容の賛否を決める前に四つの問いを置きます。
- 私:この情報は、どの自己像や恐れに触れたか。
- 表示:なぜ、いま、この順番と形で見えているのか。
- 利益:私が反応すると、誰にどの価値が生まれるのか。
- 変更:個人の習慣、サービスの設計、制度のうち、どこを変える必要があるか。
これは『成唯識論』に書かれた情報リテラシーではありません。唯識の認識論と現代の情報環境を区別したうえで作った、本記事の応用です。
通知を切ることで、自分の注意を取り戻す時間を作れます。サービスが何を評価しているかを問えば、表示や参加方法の選択肢を増やす議論にもつながります。一人の使い方と、多くの人が使う条件の両方へ、働きかける余地があります。
第二部で見てきたのは、私をつかむ働き、経験へ実体性を重ねる働き、認識のよりどころが転じる道です。そこから現代へ進むとき、内面と構造のどちらか一方に答えを集めないことが、最初の条件になります。
付録:総合図解
第二部では、末那識と四煩悩、三性、転依と四智、現代の情報環境を扱いました。以下の四つの図は、これらを一つの直線的な物語へまとめず、それぞれの構造と接点を見渡すためのものです。
図解1 「私」は、どこで作られるのか
末那識は阿頼耶識を対象とし、それを「私」としてつかみます。四煩悩は順番に発生する工程ではなく、その末那識に常に伴う四つの働きです。
図解2 三性は、同じ経験をどう分けて見るのか
同じ経験について、条件から生じたあり方、そこへ読み込まれた主客の実体性、その実体性の不在によって顕れる真如を分けて見ます。線は三性の関係を示し、修行の順番を表すものではありません。
図解3 転依では、何が変わり、何が現れるのか
転依を道・よりどころ・捨てるもの・得られるものの四側面から整理します。得られるもののうち、菩提としての智慧をさらに詳しく見ると、四智の働きが現れます。
図解4 情報環境へ、どこから応答できるのか
利用者の行動記録が表示の選択に使われ、その表示が新たな反応を誘う循環の一例です。唯識の問いから自分の執着を、設計の分析から表示を選ぶ条件を見て、それぞれの立場での応答へつなげます。
四つの図を貫くのは、「私の内側」か「外の世界」かを急いで選ばない姿勢です。唯識は、経験する私と経験される対象がどのように成立するかを問い、その問いは、現代の環境や制度を別途調べる入口にもなります。
参考文献
- 護法等造、玄奘訳『成唯識論』巻四・巻八・巻十(大正蔵31、No.1585)
- 世親造、玄奘訳『唯識三十論頌』(大正蔵31、No.1586)
- Covington, P., Adams, J. & Sargin, E. (2016), “Deep Neural Networks for YouTube Recommendations”, RecSys '16, 191–198, §§2・4(2016年時点の設計事例)
- Stanford Encyclopedia of Philosophy, "Yogācāra"