社会契約は、自由を失う話なのか
啓蒙思想を学ぶ 第一部 第6章
1762年6月、ジュネーヴの書店から二冊の本が押収されました。
『エミール』と『社会契約論』です。
小評議会は、二冊を市庁舎前で破り、焼くよう命じました。著者のルソーには、逮捕される可能性も生じます。
『社会契約論』が問うたのは、人が社会の中でどうすれば自由でいられるかでした。その本が、著者の故郷を統治する権力によって焼かれる。
これは単純な皮肉ではありません。
共同体が自分たちの法を作るというとき、その「自分たち」に誰が含まれ、誰が語る資格を持つのか。焚書は、『社会契約論』の外側で起きた事件でありながら、その思想の内部にある問いを露出させます。
啓蒙思想の中で、ルソーは少し特別な位置にいます。ロックやモンテスキューが自由を守る権利と制度を考えたのに対して、ルソーはさらに根本へ降りていきます。
人は、社会の中で自由でいられるのか。
ルソーは『社会契約論』の冒頭で、人間は自由なものとして生まれたのに、いたるところで鎖につながれている、と述べました。この言葉は有名ですが、そこで終わるとルソーの問題意識を取り逃がします。
ルソーが問うているのは、自然へ戻ればよい、という単純な話ではありません。
人間はすでに社会の中で生きています。所有、分業、名誉、比較、競争、法、国家。これらをすべて消して、純粋な自然状態に戻ることはできません。問題は、社会の中で、どのように自由を取り戻すかです。
ルソーの社会契約は、そのための試みです。
人々がそれぞれ勝手に生きているだけでは、強い者が弱い者を支配するかもしれません。逆に、強力な支配者に秩序を任せれば、人々は安全と引き換えに自由を失うかもしれません。
では、どうすればよいのか。
ルソーは、人々が自分たち自身で共同体を作り、その共同体の一般意志に従うという形を考えました。ここでいう一般意志とは、単なる多数派の意見ではありません。各人の私的利益を足し合わせたものでもありません。共同体全体にとって何がよいかを目指す意志です。
この発想には、大きな魅力があります。
もし法が、誰か外部の支配者から押しつけられたものではなく、私たち自身が共同体の一員として定めたものなら、その法に従うことは、単なる服従ではありません。自分たちで定めた法に従うという意味で、自由の一形態になります。
ルソーは、自然的自由と市民的自由を区別しました。
自然的自由とは、自分の力の及ぶ範囲で望むものを取る自由です。しかし、それは不安定です。より強い者が現れれば奪われます。市民的自由とは、法のもとで互いを拘束し合うことによって得られる自由です。
ここには、啓蒙思想の重要な逆説があります。
自由は、制約がないことではありません。
自由は、どのような制約に従うかによって決まる。
他人の恣意に従うなら、それは不自由です。自分たちが公共的に定めた法に従うなら、それは自由を支える制約になりうる。
しかし、ここで最初の場面が戻ってきます。
「自分たちで定めた法」と言うとき、その自分たちとは誰でしょうか。
当時のジュネーヴでは、都市に暮らすすべての人が政治的な市民だったわけではありません。研究上の推計では、約一万八千五百人の住民のうち、政治的主権を担ったのは約千五百人の男性だったとされます。住民、そこで生まれた人、政治参加できる市民は、同じではありませんでした。
この数字だけでルソーの思想を裁くことはできません。ルソーの理論と、当時のジュネーヴの制度をそのまま同一視することもできません。
それでも、人民主権を考えるとき、「人民として数えられたのは誰か」という問いを外すことはできません。共同体が自らに法を与えるという理想は、共同体への入口が閉じていれば、排除された人にとって別の支配になりえます。
さらに、ルソーの思想そのものにも緊張があります。
「一般意志」の名のもとに、誰かが「本当の共同体の意思」を代弁すると言い始めたらどうなるでしょうか。個人の反対意見が、共同体への敵対とみなされるかもしれません。多数派や指導者が、自分たちの意見を一般意志として押しつけるかもしれません。
一般意志は、単なる多数派の意見でも、政府の命令でもありません。だからこそ、誰がそれを見分け、異論をどのように残すのかという問題が消えません。
ルソーは、自由を深く考えた思想家であると同時に、自由の名による強制という難問を後世に残しました。
ここに、啓蒙思想の複雑さがあります。
啓蒙思想は、自由を掲げます。しかし、自由を制度化しようとすると、法と強制が必要になります。寛容を掲げます。しかし、寛容を守るためには、不寛容への制限が必要になります。理性を掲げます。しかし、理性の名で人を支配する危険もあります。
啓蒙思想は、きれいに完成した教義ではありません。
むしろ、自由と秩序、理性と感情、個人と共同体、寛容と限界のあいだで揺れ続ける思想です。
おわりに:啓蒙は、まだ終わっていない
この第一部では、考えを載せた文書の跡をたどってきました。
雑誌に置かれた一つの問い。
職人の手を図版にした『百科全書』。
王権の根拠を問い直した匿名の政治論。
権力を止める配置を探った『法の精神』。
誤った判決を遠くの読者へ運んだ手紙とパンフレット。
そして、自由を語ったために焼かれた『社会契約論』。
思想は、思想家の頭の中だけで歴史を動かしたのではありません。
紙に書かれ、編集され、印刷され、読まれ、禁じられ、隠され、反論される。その経路の中で、考えは個人の確信から公共の力へ変わりました。
だから、啓蒙思想を「理性を信じた人々の思想」とだけ説明すると、肝心なものが抜け落ちます。
啓蒙思想が問うたのは、理性があるかどうかだけではありません。
誰が理由を述べられるのか。
誰が知識へアクセスできるのか。
誰が権利を持つ人間として数えられるのか。
誰が権力の判断をやり直させられるのか。
誰が「私たち」の一員として法を作れるのか。
この問いを入れると、啓蒙は単純な進歩物語ではなくなります。
自由、平等、普遍的人間という言葉が広がる一方で、女性、非白人、植民地の住民、奴隷化された人々は、その言葉の対象から外されました。理性の名によって、別の文化や人々を未熟だと位置づけることもありました。
しかし、排除された側が沈黙していたわけではありません。
1791年、オランプ・ド・グージュは『女性および女性市民の権利宣言』を書きます。翌年、メアリ・ウルストンクラフトは『女性の権利の擁護』で、女性にも教育、自立、公共的な地位が必要だと論じました。
二人は、自由や権利の言葉を捨てたのではありません。その言葉が普遍的だと言うなら、なぜ自分たちが外に置かれるのかと問い返しました。
ここに、啓蒙思想の価値と危うさが同時にあります。
普遍的な言葉は、支配を飾ることができます。同時に、その言葉を発した人が想定しなかった場所から、支配を批判する道具にもなります。
啓蒙とは、正しい答えの一覧ではありません。
自分の判断を権威へ預けきらず、理由を公共の場へ出すこと。異なる人の反論を残すこと。権力を一か所へ集めないこと。制度が排除している人を見つけ、その入口を作り直すこと。
この仕事は、一度では終わりません。
現代の私たちは、18世紀の人々よりも多くの情報を持っています。科学も制度も進み、権利の言葉も広がりました。
それでも、私たちは簡単に未成年状態へ戻ります。
誰かが答えをくれる。多数派が正しさを決めてくれる。専門家が判断してくれる。国家が安全を与えてくれる。技術が未来を解決してくれる。
専門家も国家も技術も必要です。問題は、それらを使う私たちが、判断の過程まで見えない場所へ預けてしまうことです。
そして、自分が考える自由だけを守っても、公共世界は完成しません。
自分がどこで判断を預けているか。
どこで他者を黙らせているか。
どの制度を当然視しているか。
自分が参加している公共世界の入口に、誰が立てずにいるか。
啓蒙思想を学ぶことは、これらを見つめ直すことです。
啓蒙は、完成した光ではありません。
暗さをすべて消すのではなく、次にどこを照らし、何を問い直すべきかを示す灯りです。
その灯りは、誰か一人が持ち続けるものではありません。手渡され、批判され、別の場所へ向け直されるときにだけ、公共の灯りになります。
啓蒙は、まだ終わっていません。
私たちが考えることをやめたときだけでなく、他者が考えるための場所を閉じたときにも、何度でも失われるからです。
付録:総合図解
以下の図解は、啓蒙思想を一つの結論に押し込めるのではなく、複数の角度から読み直すための地図です。中心にあるのは、「自分で考える勇気」が、媒体を通って公共へ出て、知識、自由、制度、寛容、社会契約へ広がっていく流れです。
読むときは、中心の概念だけでなく、点線で示した誤読や危険にも注目してください。啓蒙思想は明るい理念であると同時に、使い方を誤ると支配や排除にも変わりうる思想です。
図解1:啓蒙思想の全体地図
中心の概念だけでなく、考えを運ぶ出版経路と、検閲・排除がその経路へどう作用するかを追う図です。
図解2:啓蒙思想の危うさを読む
理性、自由、寛容、契約、進歩、公共性が、それぞれ社会を開く方向と閉じる方向の両方へ進みうることを示します。
図解3:公共的理性と制度の循環
考える勇気が制度を支え、制度が自由を守り、その制度を再び公共的理性が点検する循環です。出版費用、識字、検閲、市民資格という入口条件にも注目してください。
参考文献・参照元
主な原典
- Immanuel Kant, "Beantwortung der Frage: Was ist Aufklärung?"(1784)
- John Locke, Second Treatise of Government(1689)
- Charles de Montesquieu, De l'esprit des lois(1748)
- Voltaire, Traité sur la tolérance(1763)
- Jean-Jacques Rousseau, Du contrat social(1762)
- David Hume, An Enquiry Concerning Human Understanding(1748)
- Denis Diderot and Jean le Rond d'Alembert, Encyclopédie(1751-)
参照資料
- Kant, "Beantwortung der Frage: Was ist Aufklärung?" Korpora.org
https://www.korpora.org/Kant/aa08/035.html
https://www.korpora.org/Kant/aa08/036.html - Locke, Second Treatise of Government, Project Gutenberg
https://www.gutenberg.org/files/7370/7370-h/7370-h.htm - Rousseau, The Social Contract, Project Gutenberg
https://www.gutenberg.org/files/46333/46333-h/46333-h.htm - Voltaire, Treatise on Tolerance, Project Gutenberg
https://www.gutenberg.org/cache/epub/64858/pg64858-images.html - Hume, An Enquiry Concerning Human Understanding, Project Gutenberg
https://www.gutenberg.org/files/9662/9662-h/9662-h.htm - Montesquieu, The Spirit of Laws, Constitution Society
https://www.constitution.org/cm/sol-02.htm - Montesquieu, The Spirit of Laws (1758), Book XI, Wikisource
https://en.wikisource.org/wiki/The_Spirit_of_Laws_%281758%29/Book_XI - Encyclopédie, University of Michigan Library Digital Collections
https://quod.lib.umich.edu/d/did/did2222.0001.083/--preliminary-discourse - Jean le Rond d'Alembert, Preliminary Discourse to the Encyclopedia of Diderot
https://quod.lib.umich.edu/d/did/did2222.0001.084/--detailed-explanation-of-the-system-of-human-knowledge - Deutsches Historisches Museum, What is Enlightenment? Questions for the Eighteenth Century
- Bibliothèque nationale de France, Tous les savoirs du monde : Encyclopédie
- Voltaire Foundation, About Voltaire
- Archives d'Etat de Genève, Genève au XVIIIe siècle
- Stanford Encyclopedia of Philosophy, Enlightenment
- Stanford Encyclopedia of Philosophy, John Locke
- Stanford Encyclopedia of Philosophy, Montesquieu
- Stanford Encyclopedia of Philosophy, Mary Wollstonecraft