啓蒙思想を学ぶ 第一部
1章 / 全6

自分で考える勇気とは何か

啓蒙思想を、自分で考える勇気と、それを支える公共的な場の両面から読み直す。

nakano
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はじめに:啓蒙とは、明るい言葉ではなく、危うい課題である

「啓蒙」という言葉には、どこか上から目線の響きがあります。

知らない人に、知っている人が教える。暗いところにいる人を、明るい場所へ連れていく。そう聞くと、啓蒙とは、賢い人が愚かな人を導く思想のようにも見えます。

けれども、18世紀のヨーロッパで「啓蒙とは何か」が問われたとき、答えは一人の権威から与えられたわけではありませんでした。

1783年、ベルリンで発行されていた月刊誌に、一つの問いが置かれます。

「啓蒙とは何か」。

問いを発したのは、牧師ヨハン・フリードリヒ・ツェルナーでした。雑誌はその問いを読者のいる場所へ開き、翌年、カントも短い論考を寄せます。

この成り立ちは大切です。カントの答えは、閉じた書斎の独白ではありません。異なる人が読み、反論し、別の答えを返せる場所へ差し出された文章でした。

そこでカントは、啓蒙を、人間が自ら招いた未成年状態から抜け出すことだと定義します。

未成年状態とは、年齢のことではありません。自分の理解力を、他人の指導なしには使えない状態です。考える能力がないのではない。能力があるのに、使うことを誰かへ預けている。その厳しい指摘が、啓蒙の出発点になります。

なぜ、人は自分で考えないのでしょうか。

面倒だからです。間違えるのが怖いからです。自分で判断すれば、その結果も引き受けなければならないからです。誰かに任せておけば、少なくとも「自分だけの責任ではない」と言えます。

カントは、医者、本、聖職者など、自分の代わりに判断してくれる存在を挙げました。彼らの知識が不要だと言っているのではありません。助言を受けることと、判断そのものを明け渡すことは違う、と問うているのです。

だからカントは、古代ローマの詩人ホラティウスに由来する言葉を、啓蒙の標語として掲げました。

Sapere aude.

自分の理解力を使う勇気を持て。

ここで重要なのは、啓蒙が知識量の問題ではないことです。たくさん本を読んでも、権威の言葉を覚えているだけなら、自分で考えているとは限りません。反対に、自分の判断を他者の前へ出し、批判を受け、必要なら修正する人は、知識の所有とは別の仕方で理性を使っています。

啓蒙とは、知識を持つことではなく、判断を他人に預けきらないことです。

この問いは、現代ではさらに切実です。

みんながそう言っている。

有名な人がそう言っている。

データがそう示しているらしい。

専門家がそう解説している。

検索結果の一番上に出てきた。

AIがそう答えた。

どれも判断の材料にはなります。しかし、判断そのものを肩代わりしてくれるわけではありません。情報が増えるほど、自分で考える機会も増えます。同時に、判断を外部へ預ける経路も増えます。

ただし、自分で考えるとは、誰にも頼らず、一人で結論を出すことではありません。孤独な独断は、啓蒙の反対側にあるかもしれません。自分の考えを他者へ示し、理由を問い返され、誤りを直せること。その往復があって初めて、理性は自分の確信を越えていきます。

カントは、理性の「私的使用」と「公共的使用」を区別しました。この言葉は、現在の日常語とは少し違う意味で使われています。

私的使用とは、兵士、役人、聖職者などが、組織の役割を果たすなかで理性を使うことです。職務には一定の規則があり、その場で全員が好きなように命令を拒めば、仕事は成り立たないことがあります。

公共的使用とは、一人の理性的な人間として、読者へ向けて考えを公に示すことです。役割の中で規則に従う場面があっても、その規則の根拠を公共の場で問い直す自由は失われてはならない。カントが重視したのは、この回路でした。

ここで、個人の勇気だけでは足りないことが見えてきます。

考えを載せる雑誌がいる。文章を届ける出版者がいる。読む人がいる。反論を述べても、命や生活を直ちに奪われない条件がいる。異なる信仰や意見を持つ人々が、互いを滅ぼさずに争える制度がいる。

そして、もう一つ問いが残ります。当時、その公共の場へ文章を差し出せたのは誰だったのか。読者として、著者として、理性的な市民として数えられなかった人はいなかったのか。

啓蒙思想は、個人に「考えよ」と命じるだけの思想ではありません。誰が考えを公にできるのか、そのための公共世界をどう作るのかを問う思想です。

自分で考えたことが、誰にも届かず、誰からも反論されないなら、それは公共的な理性になりうるでしょうか。

次に必要になるのは、考える頭だけではありません。考えを集め、比べ、運び、残す仕組みです。

自分で考える勇気の構造