朱子学を学ぶ 第二部
5章 / 全6

儒教は、近代化を阻んだのか

ウェーバーの中国論と戦後東アジアの成長を、文化の勝敗ではなく、価値と制度の因果を問う論争として読みます。

nakano
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成功した後なら、理由はいくらでも見つかる

経済が成長した社会を見れば、成功を説明できそうな文化的特徴が目に入ります。

教育を重んじる。よく働く。家族の将来を考えて貯蓄する。組織の協調を大切にする。

ところが、同じ特徴は成長の前には「試験偏重」「服従」「家族主義」「個人の弱さ」と批判されることがあります。成功した後に、欠点と呼ばれていたものが長所へ言い換えられるのです。

儒教と東アジアの近代化をめぐる論争には、この難しさがあります。文化は行動へ影響します。しかし、結果を見てから都合のよい特徴を選べば、どんな歴史も文化で説明できてしまいます。

働くことに、どんな意味を与えるのか

マックス・ウェーバーは『儒教と道教』で、なぜ近代的な資本主義が西欧で成立し、中国では同じ形で内発的に成立しなかったのかを考えました。

その問いを身近にすると、同じように熱心に働き、貯蓄する人でも、何を目指し、蓄えを何に使うかによって、その後の行動は変わるのか、という問題になります。ウェーバーは、官僚制、都市、親族組織、教育とともに、宗教倫理が職業や利益に与える意味を調べました。

彼が取り上げるピューリタンは、信仰に沿った厳格な生活を求めたプロテスタントの人々です。ウェーバーによれば、世俗の仕事も神から与えられた務め、すなわち「天職」と受け止める信仰は、日々の労働を規則正しく続ける動機になりました。「禁欲」はここでは、職業生活を送りながら、浪費や享楽を抑えて自分を律することです。働いて得た富をぜいたくに使わず、事業へ再投資する道が開ける。神に仕えるための生活が、結果として資本の蓄積を促した、という意図と結果のずれが、彼の議論の面白さです。

儒教についてウェーバーが描くのは、古典を学び、家族や官職上の関係でふさわしく振る舞う、教養ある人格の理想です。彼は典型的な資金の使途を、古典の教育と官吏登用試験への準備に見ます。貯蓄が試験のための学習を支え、その資格が地位につながるという経路です。これを「世界への適応」、神の要求に従って生活や仕事を組み直すピューリタンの姿勢を「世界の支配」と呼びました。後者の「支配」は、この対比では、世俗の営みを信仰の要求に合わせて計画的に整えていく意味です。

この二つは、ウェーバーが歴史を説明するために組み立てた類型です。とくに儒教像には、彼が用いた当時の中国研究や宣教師の報告による制約があります。朱熹の教説を読むときには、朱熹自身が何を善い行為の基準としたかを、別に確かめる必要があります。

朱熹の『大学章句』は、人に備わる明徳を明らかにし、「新民」、人々が古い汚れを改めることへ及ぼす学びを説きます。その基準となる「至善」は、それぞれの事柄で尽くすべき善です。たとえば伝十章では、他人の才能をねたむ臣下の排除や、民からの取り立てを優先する政治への批判が語られます。既存の振る舞いを、善の基準によって改める要求があるのです。

ウェーバーが問うのは、価値観が歴史の中でどのような経済行為を促したかです。朱熹が示すのは、人が何を学び、どのように行為を正すべきかです。この違いを踏まえると、『大学』の「国不以利為利、以義為利」がよく見えてきます。国の利益は、道義にかなうかどうかを基準に判断する、という教えです。朱熹の注釈では、統治者は自分の財を失っても民の力を傷つけることを忍びないとする姿勢が示されます。学びや仕事が何を目指すのかという問いは、古典では政治の善し悪しを判断する基準になるのです。

東アジアの成長は、ウェーバーを反証したのか

戦後、日本、韓国、台湾、シンガポール、のちには中国が急速な経済成長を経験しました。この歴史を受け、儒教的な教育熱、勤勉、家族責任、長期志向が成長を支えたという「儒教資本主義」論が現れます。

この歴史を比べるには、資本主義が最初に形成される条件と、すでに成立した資本主義を取り入れて発展する条件を分けると見通しがよくなります。ウェーバー自身も『儒教と道教』の末尾で、中国の人々が発達した資本主義を受容する可能性を認めていました。戦後東アジアの成長は、技術、国際市場、資本主義制度、安全保障秩序の中で起きた工業化として調べる必要があります。

宗教倫理の影響を強く論じたウェーバーも、生活態度が政治的・経済的な条件によって形づくられることを認めています。『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の結びでも、精神だけに原因を求める歴史説明を退けました。東アジアの成長を検討する際にも、文化が次のような条件の中でどう働いたかを追うことになります。

  • 土地改革や産業政策
  • 植民地支配と戦争が残した制度・被害
  • 米国を中心とする国際秩序と市場アクセス
  • 教育制度、企業組織、技術移転
  • 労働者、とりわけ女性や移住者が負った低賃金労働とケア

文化は、これらの条件の中で働きます。同じ「家族責任」も、教育投資を促すこともあれば、ケアの負担を家庭内の女性へ集中させることもあります。同じ「組織への忠誠」も、協力を支えることもあれば、過労や異論の抑制につながることもあります。

ウェーバーの問い、儒教資本主義論、制度史を並べる論争図

格物致知が教育熱を生んだ、と言えるか

現行の文化説明で起きやすいのは、古典の概念と現代の成果を一対一で結ぶことです。

格物致知 → 高い教育水準
修身 → 勤勉と貯蓄
五倫 → 企業の協調

この対応を確かめるには、古典の意味と、それが後世に用いられる経路を分けて辿ります。朱熹が格物致知の補伝でいう「即物而窮其理」は、物事に即してその理を究め、知を尽くす営みです。何が正しいかを理解するという学びの目的が、誠意や修身につながります。そこから近代の就学や企業の行動に至るには、古典の読み替え、学校で教える内容、試験や雇用の仕組みを調べる必要があります。

調べる手がかりは、次の四つです。

  1. ある時代の人々は、古典の語をどのように読み替えたか。
  2. その読みが、学校・試験・企業・家族の制度へどう組み込まれたか。
  3. 同じ制度から利益を得た人と、負担を負った人は誰か。
  4. 別の政治・経済条件でも、同じ価値は同じ結果を生むか。

経路を考えるための本記事の例として、家族が子の教育費を用意する場面を考えてみます。教育を重んじる気持ちが貯蓄を促し、通える学校や奨学金があれば就学を支えます。さらに、身につけた知識を用いる仕事や、資格を評価する採用の仕組みがあれば、学びが職業へつながります。学校が遠い場合や、卒業後の仕事が乏しい場合には、同じ熱意でも結果が変わります。実際の歴史でどの経路が働いたかは、家計・学校・雇用の資料で確かめる課題です。

このように用途と条件を追ってから「窮理」へ戻ると、学びの目的をもう一度問い直せます。朱熹が求めた、物事の理を究めて行為を正す学びを、後世の教育はどのように受け継ぎ、変えたのか。進学率や所得とあわせて、何を理解するための学びだったかが見えてきます。

現代への応用(本記事での解釈)

文化を理由にした説明を聞いたとき、「その文化がある」だけで止めず、働く経路を確かめます。

その価値は、誰によって、どの制度の中で、どの行為へ変えられたのか。

職場で「勤勉」を掲げる場合にも、何のために働くのかと、働き方を決める仕組みの両方を確かめられます。仕事を丁寧に仕上げることを評価するのか、長く職場に残ることを評価するのか。休息や学習の時間を確保できるのか。理念は、評価や労働時間の決め方を通じて、日々の選択に関わります。

ウェーバー論争を通じて、価値が誰の行為をどう動かしたのかを具体的に問えるようになります。そのうえで『大学』の「以義為利」から、仕事の成果を誰が受け取り、誰が負担を担うのかを考える。歴史上の効果を調べる問いと、いま何を善い仕事とするかという問いの双方が残ります。

次章では、このシリーズを「形式と自由」という問いで結びます。礼の型は、どのようなときに人の行為を支え、どのようなときに人を縛るのでしょうか。

参照した主な資料