二諦(にたい)
nakano
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概要
二諦(にたい、サンスクリット: satyadvaya)とは、世間で通用する真理である世俗諦と、究極の意味に関わる勝義諦の区別です。
『中論』第24章第8偈は、仏の教えがこの二つの真理に依拠すると述べます。第10偈は、世俗の言語的慣習に依らなければ勝義を教えられず、勝義を理解しなければ涅槃に至れないと説きます。
世俗諦
世俗諦では、「火が布を燃やした」「私は約束した」「この行為には責任がある」と語ります。言葉、因果、区別、規則が働くから、経験を共有し、危険を避け、修行し、他者へ応答できます。
世俗諦は、単なる嘘や捨てるべき幻ではありません。
勝義諦
勝義諦では、火、布、行為者、結果のどれを調べても、条件から独立して成立する自性は見いだせないと考えます。
勝義諦は、日常世界の背後にある別の実体的世界ではありません。同じ出来事を、自性が成立するかという問いから見る水準です。
二つを切り離さない
「すべては空だ」という説明も、言葉、文法、聞き手、伝統に依存します。したがって、勝義だけを例外的な絶対真理として所有することはできません。
二諦は、世俗の責任を保ちながら、人や行為を固定した本質へ変えないための区別です。二つを別世界や上下階層として固定すると、二諦そのものを実体化することになります。
この概念が登場するブログ記事
さらに深く知るためのガイド
- ナーガールジュナ『根本中頌(中論)』第24章
- 桂紹隆・五島清隆『龍樹『根本中頌』を読む』