アーナンダ — 歓喜を所有しない

nakano
6 min read

概要

アーナンダ(Ānanda)は、歓喜、喜び、至福などと訳されます。『タイッティリーヤ・ウパニシャッド』では、歓喜でできた「より内なる自己」が語られ、人間的な喜びから神々の喜びまでを段階的に比べる有名な叙述があります。

快感の最大化ではない

本文の「歓喜の計量」では、それぞれの段階に「欲望から自由な、よく学んだ人」の歓喜が添えられます。刺激を百倍ずつ強めるだけではなく、欲望への拘束が歓喜の質に関わることが示されます。

また、言葉と心はブラフマンの歓喜に達せず、そこから引き返すとも語られます。アーナンダという名を知ったから、その歓喜を所有できるわけではありません。

五つの系列の中で

パンチャ・コーシャの整理では、アーナンダマヤは食、息、心、理解に続く第五の鞘です。ただし、最内層を「いつも幸福な本当の私」と考えると、心理的な気分へ縮小されます。

『タイッティリーヤ』は最内へ進んだ後、食を軽んじず、客を拒まないという生活の規範へ戻ります。歓喜は身体や他者から切り離された私的な高揚ではありません。

後代の表現

「存在・意識・歓喜」(sat-cit-ānanda)は後代ヴェーダーンタでブラフマンを表す有名な定式になります。古いウパニシャッドの複数の表現を整理した重要な語ですが、すべての経典に同じ完成形で現れる一文ではありません。

この概念が登場するブログ記事