致良知(ちりょうち)
概要
「致良知(ちりょうち)」は、陽明学の実践を表す中心概念です。良知とは、善悪を知る心の本来の働きです。致良知とは、その良知を私意に覆われたままにせず、「事事物物」、すなわち一つ一つの具体的な事において十分に働かせることです。
「内なる声をそのまま行動に移す」という意味ではありません。何が良知を曇らせているかを省み、目の前の事にふさわしい応答を尽くす、継続的な修養です。
詳細解説
良知は関係の中で現れる
『伝習録』は、父を見れば自然に孝を知り、兄を見れば自然に弟としてのあり方を知り、幼い子が井戸に落ちそうなのを見れば自然に憐れむ、と説明します。良知は抽象的な正解一覧ではなく、具体的な相手や出来事に触れたときに働く道徳知です。
しかし、その働きは損得、恐れ、好悪、自己正当化などの私意に妨げられます。良知が本来あることと、私たちがいつも正しく判断できることは同じではありません。
「事事物物」において尽くす
王陽明は致知を、自分の心の良知を「事事物物」に致すことだと説明します。ここで重要なのは、良知と現実が別々に置かれていないことです。
親への孝なら、相手の体調や食事、置かれた状況を調べる必要があります。役所の仕事なら、文書や訴訟を離れて修養するのではなく、その処理の中で怒りやえこひいきを省きます。致良知の場は、静かな内面だけではなく、具体的な関係と仕事のただ中です。
行動主義ではない
致良知は、速く動くことや、考える前に決断することではありません。王陽明は、学ぶ・問う・思う・見分ける・行うことを一つの営みとして説明し、空虚な思考だけでなく、見分けのない実行も退けました。
したがって致良知では、調査、対話、熟考も行の外にありません。それらが本当に目の前の事へ向かい、良知を明らかにする働きなら、すでに実践の一部です。
現代への応用
以下は原典の用語をそのまま説明したものではなく、本記事群での現代的な使い方です。
- 自分に都合のよい動機が判断を覆っていないか省みる。
- 相手の事情や事実を確かめる。
- その場に必要な具体的な応答を選ぶ。
- 結果を受け取り、誤りがあれば次の応答を変える。
ここで大切なのは、行為の小ささではなく、具体的な事に届いているかどうかです。「今日できる小さな一歩」は有用な実践法になりえますが、致良知そのものの定義ではありません。
この概念が登場するブログ記事
- 第3章 良知:すでに働いている道徳知
- 第4章 致良知:良知を現実に届かせる
- 第6章 陽明学の危うさ:良知は独善にもなる
- 第7章 現代の陽明学:情報ではなく、行為へ
- 第2章 一体の仁と私欲:世界を細切れにするもの
- 第4章 良知を社会へ届ける
- 第6章 現代の事上磨錬