Motho ke Modimo
nakano
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概要
Motho ke Modimoは、「人はModimoである」と訳されるソト・ツワナ語の表現です。Gabriel M. Setiloaneは、人間の存在に感じられる尊厳や畏れを論じる中で、この言葉を用いました。
この表現を「個人の自我は万能の神である」と読むのは適切ではありません。一方で、「すべての人が宇宙エネルギーの結節点である」という物理モデルへ直ちに置き換えることもできません。Setiloaneが、ソト・ツワナの宗教語彙から人間の神聖さを語り直した神学的命題として読む必要があります。
詳細解説
1. 何を肯定する言葉なのか
Setiloaneの議論では、生者や祖先、首長、治療者などに接したとき、人は説明しきれない尊厳や畏れを感じることがあります。Motho ke Modimoは、そのような人間存在の神的な質を表す言葉として置かれます。
ここから引き出せる倫理的な含意は、人を機能や地位だけで扱わないことです。ただし、この現代的な含意と、表現が置かれた宗教的文脈は区別しなければなりません。
2. セリティとの関係
Setiloaneは、血、身体、人格、セリティを、人間の動的な存在を語る語彙として結びつけました。後の文献には、人を力が現れる焦点、セリティを外へ現れる力と説明するものもあります。
ここでの「力」は神学的・宗教的な言葉です。人がすれ違うと物理的な波が干渉する、挨拶によって生命力が補給される、といった個別の主張まで自動的に導くものではありません。
3. 使うときの注意
この表現は、Setiloaneの著作に追跡できます。しかし、Ratheteの北ソト研究では中心命題として使われていません。ソト・ツワナ、北ソト、南部アフリカ、アフリカ一般を一つの教義へまとめず、誰が、どの地域と資料をもとに語ったのかを示す必要があります。
さらに深く知るためのガイド
- Gabriel M. Setiloane, The Image of God among the Sotho-Tswana, A. A. Balkema, 1976.
- Gabriel M. Setiloane, African Theology: An Introduction, Skotaville Publishers, 1986.