モト(Motho)

nakano
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概要

モト(Motho)は、ソト・ツワナ語群で人、人間を表す語です。哲学や宗教の議論では、生物学的な分類だけでなく、他者と関わり、人格を示す存在という意味を伴って使われます。

ただし、「人は関係の中で人になる」という説明を、共同体の基準に合わない人は人間ではない、という意味にしてはいけません。Ratheteの論文には、すべての人が人であることによってセリティを持つという説明と、行為を通して人格が認められるという説明の両方があります。

詳細解説

1. 人であることと、立派な人であること

北ソトを中心に論じたRatheteは、障害、病気、職業、地位にかかわらず、人は人であることによってセリティを持つと書いています。ここでは、尊厳は共同体の評価より先にあります。

その一方で、知恵、親切、寛大さ、誠実さなどを示す人が、人格のある人として高く評価されるとも述べます。人間としての尊厳と、行為に対する評価は区別する必要があります。

2. Bothoとの関係

bothoは、人間らしさ、人間性、よい人格などと訳されます。Setiloaneを参照するRatheteの説明では、人は成長し、関係の中で徳を学ぶことでbothoを身につけます。

これは、人格が一人の内面だけで完成しないことを示します。しかし、共同体は人格を育てるだけでなく、古い役割や排外的な基準によって人を傷つけることもあります。関係の重要性と、個人の異議を唱える権利は、同時に守られなければなりません。

3. セリティとの関係

モトとセリティの関係は、人間が物理的なエネルギーを放射するという一つの図式にはまとめられません。セリティには、尊厳、人格、個性、影、祖先や儀礼との関係などが重なります。

人であるから持つセリティと、行為の中で認められるセリティ。この二つを分けることで、人格の成長を語りながら、人間の価値を序列化する危険を避けられます。

この概念が登場するブログ記事

さらに深く知るためのガイド

  • Gabriel M. Setiloane, The Image of God among the Sotho-Tswana, A. A. Balkema, 1976.
  • Matome Bethuel Rathete, The Reality and Relevance of Seriti in the Past and Present, University of South Africa, 2007(UNISA Institutional Repository公開: 2009).