アハンカーラ

nakano
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概要

アハンカーラ(ahaṃkāra)は、インド哲学で「私」という感覚の形成に関わる概念です。日常語の「自尊心」や「わがまま」より広く、身体、感覚、思考、行為を「私」「私のもの」と結びつける働きを指します。

『バガヴァッド・ギーター』第3章27節では、行為はプラクリティのグナによってなされるのに、アハンカーラに惑わされた者は「私が行為者だ」と考える、と語られます。

行為者という感覚

一つの行為には、外からの刺激、身体の反応、感覚器官、過去の記憶、習慣、欲望、三グナなどが関わります。アハンカーラは、その複雑な過程を一つの主語へまとめます。

問題は「私」という言葉を使うことではありません。多くの条件に支えられた行為を、孤立した自我だけが最初から最後まで支配したと考えることです。

責任は消えない

「グナが行為する」ことを、責任放棄の理由にはできません。ギーターはアルジュナに行為を捨てさせず、執着を離れて行為するよう求めます。18章63節では、教えを十分に考えたうえで、望むように行うことがアルジュナへ返されます。

注釈者の説明も一つではありません。身体と感覚の作用へ行為者性を重ねると読む注釈もあれば、個人だけを唯一の行為者とは呼べないとしつつ、個人の関与を完全には消さない注釈もあります。

したがってアハンカーラを見抜くとは、「私には責任がない」と言うことではなく、どの条件と選択に応答できるかを具体的にすることです。

リベット実験との比較

リベットの実験では、単純な自発運動に先立つ脳の準備電位が、参加者の報告した意図の時点より早く始まりました。これは「意識的な私」が行為の最初の原因なのかという問いを開きます。

ただし、準備電位の意味や意図時刻の測定には議論があります。実験が自由意志を否定したわけでも、ギーターを科学的に証明したわけでもありません。両者は同じ答えではなく、行為者という感覚を異なる方法で問うものです。

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さらに深く知るためのガイド

  • 『バガヴァッド・ギーター』第3章27〜30節
  • 『バガヴァッド・ギーター』第13章19〜23節
  • Benjamin Libet et al., “Time of conscious intention to act in relation to onset of cerebral activity,” 1983