ネーティ・ネーティ — 限定を外す否定

nakano
6 min read

概要

ネーティ・ネーティ(neti neti)は、「それではない、それでもない」を意味します。『ブリハッドアーラニヤカ・ウパニシャッド』で、自己やブラフマンを一つの性質へ限定しないために用いられます。

しばしば「言葉をすべて捨てる技法」と説明されますが、本文は否定だけでできているわけではありません。物質的/非物質的、死すべき/不死なるなど多くを語ったうえで、その叙述を全体だと思わないよう限定を外します。

なぜ否定するのか

身体、感情、記憶、役割は、どれも自己に関わります。しかし「私は身体だけだ」「私はこの失敗だけだ」と一つへ閉じると、説明できた部分が全体を占領します。

ネーティ・ネーティは、事実を消す否定ではありません。

それは私に属する。しかし、私のすべてではない。

この区別を保つ働きです。

「知る者」の問題

マイトレーイーとの対話で、ヤージュニャヴァルキヤは「すべてを知る、その知る者をどう知るのか」と問います。自己を一つの対象として置けば、それを知る側が外へ残ります。

ネーティ・ネーティは、対象を増やし続けて自己へ到達する方法の限界を示します。ただし、知ることの放棄ではなく、知り方の転換です。

現代思想との比較

ヴィトゲンシュタインの言語論やゲーデルの不完全性定理と比較されることがあります。いずれも枠組みの限界を考えさせますが、同じ問題への同じ答えではありません。ネーティ・ネーティは、古代インドの自己とブラフマンの叙述に属します。

この概念が登場するブログ記事


Linked References